無量山 引接院 正覚寺

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住職三分法話

住職三分法話㉚

令和4年6月1日

 法然上人と御家人(ごけにん) ~宇都宮頼綱(うつのみやよりつな)~

法然上人がご在世の鎌倉時代、将軍(鎌倉殿)と主従関係を結び家来(家人)となった武士を
将軍への敬意を表す「御」をつけて御家人と呼ぶようになりました。
その御家人の中には法然上人の弟子となられた方が多くおられます。
今回は法然上人の弟子の御家人、宇都宮頼綱をご紹介いたします。

宇都宮頼綱は鎌倉殿に仕える御家人の中でもひときわ大きな勢力を誇った宇都宮一族の
5代目当主という名門武士です。源平合戦には参加しませんでしたが1189年の奥州討伐
の際に活躍した記録があります。1205年、義父である初代執権北条時政が鎌倉幕府に対
して謀反(むほん)を企てたことをきっかけに、頼綱も縁者ということで幕府から疑いをかけ
られてしまいます。頼綱は無実を証明するために出家をし、名を頼綱から蓮生(れんしょう)
に改め、さらに住まいを関東から京都へ移します。

不本意ながら関東を追われた頼綱は、先に法然上人の弟子となっていた同じく御家人だった
熊谷直実の紹介で法然上人と出会います。この時法然上人は76歳。前年、京都から讃岐へ
流罪となり京都へ戻ることが許されず大阪の勝尾寺にて暮らしているところでした。法然上人
から浄土宗の教えを聞いた頼綱は熱心な念仏者となります。頼綱はこの時まだ31歳。しかし
その出会いから約3年後に法然上人はご往生されます。その後、頼綱は法然上人の高弟である
証空上人の弟子となり、さらに念仏に励みます。

時は流れ、法然上人ご往生から15年が過ぎた頃、一部の念仏に反対する勢力の輩達によって
法然上人の墓が破壊されるという事件が起こります。さらに輩達が法然上人のご遺体を川に
流すとの情報を聞き、証空上人や頼綱達は隙をみて法然上人のご遺体を京都の東山から西の
二尊院へ秘密裏に移送することにします。その際に法然上人のご遺体の警護をしたのが頼綱を
中心とする元鎌倉御家人集でした。頼綱はその時、袈裟の下に鎧をまとい、法然上人のご遺体
を命がけで守りまty した。その屈強な姿に輩達は襲撃をあきらめ事なきを得ます。
その後法然上人のご遺体は火葬され、ご遺骨は現在の知恩院の御廟へと埋葬されました。

頼綱は法然上人の直弟子として一途に法然上人を慕い、81歳で往生するまでお念仏一筋に生きた
熱き心を持った念仏者でした。                      同称十念

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