無量山 引接院 正覚寺

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住職三分法話㉟

令和4年11月1日

法然上人と御家人 ~園田成家(そのだなりいえ)~

 

法然上人がご在世の鎌倉時代、将軍(鎌倉殿)と主従関係を結び家来(家人)となった
武士を将軍への敬意を表す「御」をつけて御家人と呼ぶようになりました。
その御家人の中には法然上人の弟子となられた方が多くおられます。
今回は法然上人の弟子の御家人、園田成家をご紹介いたします。

園田成家は坂東小倉村(現在の群馬県桐生市)の名門武家の生まれで、28歳の時
(西暦1200年)京の警護の為に上洛し、その時に法然上人(当時67歳)を訪ね、
すぐに出家し弟子となります。(その経緯は資料が無く出家した理由は不明です)
そのまま約6年間、法然上人近習の弟子として法然上人の元で浄土宗の教えを
学び修行を重ねました。そして33歳の時に成家は京で既存の仏教勢力からの
浄土宗の弾圧が強まったこともあり、法然上人の元を離れ坂東小倉村に戻ります
(その1年後法然上人は京から讃岐へとご流罪となってしまいます)。

小倉村に戻った成家は小倉村の高台に草庵(小さなお寺)を建てて、法然上人から
教わった浄土宗の教えを村の人々に布教し、村の人々と共に一人の念仏僧として
の暮らしを続けます。やがて成家は小倉村の人々から小倉上人と呼ばれるように
なります。そして多くの人々が成家からお念仏の教えを聞き、浄土宗の信仰を心
の拠り所としました。

(桐生市に伝わる資料によると)その中には若き北条泰時(のちの鎌倉幕府三代執権)
もおられました。北条泰時は成家からお念仏の教えを聞き浄土宗の信仰を心の支え
とし、執権となってからも成家のもとを訪れその交流は30年以上も続きました。
その交流の中での成家晩年のエピソードをご紹介します。
成家は75歳の時(西暦1248年)、自身の往生が近いことを覚り、北条泰時に
書状を添えて一本の杖を送ります。その杖は成家が晩年愛用していた杖で栗の木で
作った杖でした。杖に添えられた書状は次のような内容でした。

「栗は『西の木』と書きます。私は西方極楽浄土に想いをよせてこの杖を愛用して
参りました。しかし老体となって杖をついても歩くのがままならなくなった今は
この杖も必要なくなりました。どうぞ泰時様もこの栗の杖をお使いになられ、
いつの日か西方のお浄土へ参られることをお待ちしております。」

その杖を送った数か月後に成家は西の方角を向いて正座合掌し、念仏を2時間ほど
お称えし息を引き取りました。その時、空には紫雲が現れた光明が差し込むまさに
西方極楽浄土への見事な旅立ちでした。

園田成家の信仰心と、小倉村の人々や北条泰時とのお念仏を通した交流に想いをはせて、
今日もただ一向に南無阿弥陀仏。           同称十念

正覚寺

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