無量山 引接院 正覚寺

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正覚寺日記

住職三分法話㉛

住職三分法話㉛

令和4年7月1日

 法然上人と御家人 ~宇都宮 朝業(うつのみや ともなり)~

 

法然上人がご在世の鎌倉時代、将軍(鎌倉殿)と主従関係を結び家来(家人)となった武士を将軍への敬意を表す
「御」をつけて御家人と呼ぶようになりました。その御家人の中には法然上人の弟子となられた方が多くおられます。
今回は法然上人の弟子の御家人、宇都宮朝業をご紹介いたします。

宇都宮朝業は先月の『住職三分法話㉚』でご紹介した宇都宮頼綱(よりつな)の弟で、兄の頼綱が鎌倉幕府への
謀反(むほん)の疑いを掛けられ出家した後、宇都宮家の家督を継ぎ鎌倉殿の御家人となった人物です。
朝業は元来、争いを好まず、歌人として後世に名を残す穏やかな性格の御家人でした。1203年朝業が御家人として
鎌倉幕府に出仕したのと同時期に源実朝(みなもとさねとも)が三代目鎌倉殿に就任しました。この時、実朝は12歳。
それから約16年間朝業は実朝の側近として仕えます。実朝と朝業の関係は将軍と家来の関係だけではなく、
お互い和歌を詠むことを好まれていましたので歌人としての深い関係がありました。現在も当時の歌集には
二人が互いに詠んだ和歌が残っています。
ところが、1219年1月、実朝が28歳の時、鎌倉鶴岡八幡宮で甥の公暁に刺殺されてしまいます。
その時お供をしていた朝業は実朝の死を目の当たりにし、突然の惨事に実朝を守れなかったことへの後悔の念から
出家することを決意します。そして1220年8月、すでに出家し京都に居た兄の宇都宮頼綱を訪ねます。
しかしすでに法然上人は8年前にご往生されていたので法然上人の高弟である証空上人の弟子となり、
名を信生(しんしょう)と改名します。
信生となった朝業は法然上人の教えを証空上人から聞き、熱心な念仏信者となります。そして歌人とし和歌集の編さんにも尽力します。
信生は出家してからも主人である実朝を想い歌を詠まれています。

言の葉の 情けを偲ぶ 露までも いづれの草の 陰に見るらむ

和歌を詠み合い心を通わせ合った実朝公からの温情を偲んでいます。
実朝公は露のように消えて今どちらの草葉の陰から見てくれているでしょうか。

鎌倉時代の一大勢力だった宇都宮家の元当主である朝業(信生)がいつどこで亡くなったのか記録には一切残っていません。
記録がないことは武士や歌人としてではなく、一人の念仏信者、信生として生涯を全うし往生されたことの証であると思いを巡らせています。
同称十念


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