法然上人のお弟子達 ~真観房感西~

住職三分法話55

 

法然上人のお弟子達 ~真観房感西~

 

今回は多くの法然上人直弟子の中でも特に法然上人と長く生活を共にしていた常随給仕の弟子の7人の1人であり、法然上人が浄土宗の教えの全てを示された書物『選択本願念仏集』(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう)の執筆役を命じられるほど文才と知識と信仰に秀でた真観房感西(しんかんぼうかんさい)【以下感西】をご紹介いたします。

感西は19歳で法然上人に弟子入りしますが、その時、法然上人は39歳なので、それは法然上人が43歳で比叡山での修行を終え浄土宗を開く4年前のことでした。伝記には「19歳で法然上人の弟子となる」とだけ記されているので私が想像するに、おそらく感西は若い頃から比叡山で修行される中で法然上人と出会い、比叡山の奥地の黒谷報恩蔵でひたすら修行される法然上人と共に修行の日々を過ごされたはずです。多くの弟子の中で浄土宗開宗前の比叡山修行時代からの弟子は数人しかいませんので感西はまさに側近の弟子の1人でした。

感西は浄土宗の最も重要な教本である『選択本願念仏集』の執筆役として有名な方ですが、その執筆役を命じられた3人の内、他の2人は前回、前々回に紹介した証空と遵西ですが、3人で分担して執筆したのではなく、感西は『選択本願念仏集』の内、約7割を一人で執筆を務めています。執筆役とは単に字が上手いだけではなく浄土宗の教義を真に理解し信仰していなければ務まらない重役です。さらに感西は法然上人の代理として法要の導師を務めたり、法然上人に弟子入りしてきた若い僧侶を法然上人の命で自身の弟子として預かることがあったことなどから法然上人からの信頼がとても厚かったことがうかがえます。

その他には法然上人は65歳の時に命を落とすかもしれない大病を患います。体調は翌年には回復されますが、その時法然上人は弟子達に対する遺言書ともいえる『没後遺誡文』(もつごゆいかいもん)を示されています。その中で法然上人は感西に対して自身が所有する土地と中房(住居兼お堂)を譲ると記しています。それほど法然上人にとって感西は大切な弟子であり共に念仏信仰を貫く同志でした。

しかし、感西は『没後遺誡文』を受け取ったその2年後に48歳で亡くなってしまいます。死因などは伝記には記されていませんが、法然上人は感西の為に常に念仏を称えられ、感西が往生を遂げた時には「老いた私を残して先に往ってしまいましたか」と、涙を流されたと伝記に伝わります。

68歳の法然上人にとって30年の時を共に過ごした感西との別れはどれほどの悲しみであったか想像に堪えません。

現在、浄土宗の教えを頂く私達にとって感西の記した『選択本願念仏集』は教義の根幹であることは間違いありません。その教えを受け継ぎ、感西の一途な信仰を見習い今日もただ一向に「なむあみだぶつ」    合掌