法然上人のお弟子達  ~勢観房源智~

住職三分法話56              令和6年8月1日

 

法然上人のお弟子達 ~勢観房源智~

 

今回は法然上人の晩年に常随したお弟子で、現在まで850年続く浄土宗にとって大きなご功績を残された勢観房源智(せいかんぼうげんち)上人(以下源智)をご紹介いたします。
源智は平氏の武士、平師盛(たいらのもろもり)の子として1183年に生を受けます。しかし2歳の時に壇ノ浦の戦いで平氏が源氏に敗れ平氏が滅亡してしまいます。その後は源氏による平氏狩りを逃れる為に寺にかくまわれ、しばらくして13歳の時に法然上人のもとに送られ弟子となります。法然上人のもとで修業をすることになった源智は、まずは先月の三分法話でご紹介した法然上人のお弟子、感西のもとで感西が亡くなる1200年まで6年間修業に励みます。その後は法然上人のもとでさらに修行に励み信仰と知識を高め、1204年源智が21歳の時には他宗から浄土宗に対する教義の不義の疑いをかけられたことに対しての浄土宗側の回答書(弟子たちの戒めの誓いでもある)『七箇条制誡』には190名が署名していますが源智は当時弟子の中では最年少でありながら5番目に署名するほどに頭角を現します。また源智と言えば浄土宗において最も大きな功績として法然上人の臨終に寄り添い、法然上人からご往生の2日前に浄土宗の宝ともいうべき『一枚起請文』を授かり生涯肌身離さず守り後世に伝えています。また法然上人への供養と浄土宗伝導のために法然上人ご往生の後、46000人以上の念仏結縁者の署名を集め三尺の阿弥陀如来像を造りその胎内に納め建立しています。さらに法然の23回忌に当たる1234年には現在の浄土宗総本山知恩院を開山し、自身は二代目となり初代の住職を法然上人としています。そしてその2年後、法然上人のご往生から26年の時を経て56歳の時に源智は極楽へと往生されました。
法然上人の教えを一途に守り、師の供養を続けた源智の信仰心を見習い、源智が守り後世に伝えた『一枚起請文』の教えのまま、今日もただ一向に「なむあみだぶつ」           合掌