法然上人のお弟子達 ~長楽房隆寛~

住職三分法話58              令和6年10月1日

 

法然上人のお弟子達 ~長楽房隆寛~

 

今回ご紹介する法然上人のお弟子は長楽房隆寛(ちょうらくぼうりゅうかん)(以下隆寛)です。
隆寛は貴族の家の三男として生まれ、幼くして仏門に入るべく比叡山に送られ、厳しい修行を積み、天台宗の僧侶として学問を極め、天台宗の僧侶として出世していきます。そして50歳を過ぎてから浄土宗の教えに出会い学び始め、55歳の頃に法然上人の門をたたき、直弟子となりました。その時法然上人は70歳。法然上人は75歳の時、法難に遭い京都から四国へ旅立たれるので隆寛が法然上人の弟子として過ごしたのはわずか5年ほどの年月でした。しかしその短い時の中で隆寛は法然上人から認められ浄土宗の教義の全てが書かれた『選択本願念仏集』を授けられます。それは法然上人の弟子の中でも浄土宗だけでなく仏教の理解が深い直弟子、数人だけに授けられたものなので隆寛がよほど優秀で信頼の篤い弟子だったかがうかがえます。
隆寛は数々の著書を残し、多くの弟子を育て、後に浄土真宗の宗祖となる親鸞(敬称略)にも思想的に影響を与えたので仏教の歴史上とても有名な僧侶です。ただ私がここでご紹介したいのは隆寛の一心に法然上人を慕い、浄土宗の信仰を貫いたその信仰心です。
法然上人がご往生されてから15年後、隆寛79歳の時です。浄土宗は京都近郊だけでなく全国に広まりつつありました。その事を心よく思っていなかった天台宗比叡山の僧たちが決起し、京都で浄土宗の代表のような立場にあった隆寛に浄土宗を批判する内容の書物を書いて送りつけてきました。それを受けた隆寛はその書物に書いてある浄土宗への批判を全て経典に基づき理論的に反論した書物を書き、比叡山に送り返しました。その結果、比叡山の僧たちのさらなる怒りを買い、朝廷も巻き込み、最終的に隆寛は京都から追放、関東へ流罪となってしまいます。そして翌年、関東の地で80歳の生涯を終えることになります。隆寛はそれでも命尽きる最後まで法然上人、浄土宗の教えが正しいと身をもって貫きました。その姿は師の法然上人の晩年に重なります。隆寛の命を懸けて信仰を貫いたその姿に想いを馳せて今日もただ一向に「なむあみだぶつ」。           合掌