浄土宗の法要②  ~彼岸(ひがん)~

住職三分法話63            令和7年3月1日

浄土宗の法要②  ~彼岸(ひがん)

彼岸は春分の日と秋分の日、その前後3日を合わせた一週間をさします。もともと「彼岸」とは、仏教が生まれた古代インドで使われたサンスクリット語「パーラミター(波羅蜜多)」に由来する言葉で「向こう岸に渡る」という意味です。
仏教では私たちのいる苦しみの多いこの世界を此岸(しがん) 、阿弥陀様の世界である西方極楽浄土を彼岸(ひがん) といいます。
春分・秋分の日は太陽が真西に沈むため、阿弥陀様の世界である西方極楽浄土に想いを馳せるのに適した時期として彼岸は古来より日本の多くの寺院で法要が勤められる大切な仏教行事です。
実際、奈良時代から平安時代に建てられたお寺はお堂が東向きに建てられているお寺が多く、お参りする私たちが西の方角に手を合わせ祈るようになっています。その代表的なお寺の一つに京都宇治の平等院があります。平等院鳳凰堂も彼岸の時期は平等院鳳凰堂の中心に夕日が沈んでいきます。その夕日の先に極楽浄土があると信じ、約1000年前の人々も彼岸には平等院鳳凰堂とその先の夕日に向かい手を合わせ西方極楽浄土に想いを馳せていました。
では極楽浄土に想いを馳せるとはどういうことかと言いますと、それは自分自身がこの世の命を終えた後に必ず極楽浄土に往けますようにと願うことであり、さらに自分が極楽浄土に往かせていただいた時には先に極楽浄土で待ってくれているこの世でお別れした大切な方やご先祖様と会えますようにと願うことです。
私たちが極楽浄土へ往かせていただくことを叶えてくださる仏様が阿弥陀様です。だから私たちは阿弥陀様に手を合わせます。そして阿弥陀様が「なむあみだぶつ」と称える者を全て極楽浄土に救うと約束してくださっています。そのお約束を信じて「なむあみだぶつ」と称えて極楽浄土へと往かせていただくことが浄土宗の教えそのものです。彼岸の時期はもちろんですが日常においてもその教えを信じ「なむあみだぶつ」を称えることが極楽浄土で見守る亡き大切な方やご先祖様に想いを馳せて供養する一番の行いです。彼岸の時期は夕日の方角に手を合わせ、いつもより丁寧により深く亡き大切な方に想いを馳せたいと思います。
       彼岸の夕 再会願い 「なむあみだぶつ」 合掌。