浄土宗の法要④ ~御忌会(ぎょきえ)~

住職三分法話65                   令和7年5月1日

浄土宗の法要 ~御忌会(ぎょきえ)~

浄土宗において最も重要な行事を一つあげるとするならば、おそらく多くの方が『御忌会』をあげられると思います。一年を通して総本山知恩院(京都)、大本山増上寺(東京)においても最も多くの僧侶が参集し盛大に行われる法要が『御忌会』です。

『御忌会』は浄土宗を開かれた法然上人のご命日の法要です。

今から813年前の鎌倉時代初期、法然上人がご往生された後、法然上人のお弟子達は現在の知恩院の辺りにお墓を造り,法然上人の御影(みえい)を安置し、祥月命日(25日)には法然上人の遺徳を偲ぶ法要『知御講(ちおんこう)』を営んでいました。『御忌』という言葉は元々、天皇・皇后陛下などの貴人や高僧の年忌法要のことを指していましたが、法然上人ご往生から約300年後、今からちょうど500年前、大永四年(1524年)に当時の天皇である後柏原天皇が知恩院に送った詔書に「毎年1月、京都とその周辺地域の浄土宗僧侶を集め、『法然上人御忌』として7日間勤めよ」とあり、天皇の命によって法然上人の忌日法要『知御講』が『御忌会』として法要が営まれるようになりました。それから100年後の江戸時代になると『御忌』といえば法然上人の忌日法要と一般に定着し春の季語としても親しまれるようになります。

江戸時代前期には徳川家の庇護を受けて知恩院は現在のような壮大な寺領と三門(さんもん)や御影堂(みえいどう)などの伽藍が整います。それとともに『御忌会』は法然上人の教えを慕う全国の人々が集い、盛大に勤められるようになりました。当時の『御忌会』は法然上人のご命日の1月25日に営まれていましたので、人々が一年の寺参りの始めとして華やかに着飾って参拝に出かけたこともあって、御忌は『衣装競べ』とも呼ばれました。

『着だおれの 京を見に出よ 御忌もうで』 という句も残されています。

明治時代になるとより多くの人々に参詣いただけるよう、旧暦の1月から、時候の良い新暦の4月に御忌が勤められるようになり、知恩院以外の各大本山はじめ全国各地の浄土宗寺院でも行われるようになりました。

正覚寺でも時候の良い5月25日に『御忌会』を厳修しております。また毎月25日には『御講(おこう)』として法然上人のご遺徳を偲ぶ法要を行い、浄土宗の教えで最も大事なお念仏を皆で称えています。『御忌会』『御講』を機に改めて法然上人が示された「なむあみだぶつ」を称え、阿弥陀仏に極楽浄土へ救っていただく浄土宗の教えの有難さを感じお念仏を称える日々を送りたいと思います。

  「なむあみだぶつ」  合掌