法然上人御遺訓『一枚起請文』⑥
住職三分法話78 令和8年6月1日
前回からの続きとして『一枚起請文』の内容の解説の5回目をお伝えいたします。
原文
念仏を信ぜん人は、たとい一代の法をよくよく学すとも
一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無智のともがらに同じうして智者のふるまいをせずして、ただ一向に念仏すべし。
意訳
念仏を信じる人は、たとえお釈迦様が生涯に説かれた教えを十分に学んだとしても、一文字も知らない愚者と己を見つめて、尼入道※と呼ばれる無知でも一生懸命お念仏を称える人々と同じように、智者のようにふるまわず、愚者の自覚を持ち、ただひたすら念仏すべきです。
この箇所で法然上人は浄土宗のお念仏信仰者の心構えの真髄を述べられています。
結論の『ただ一向に念仏すべし』は最も大事なことなのは間違いないことですが、その前に法然上人は浄土宗のお念仏は『智者のふるまいをせず』お念仏を称えることです。と仰せです。
よく檀家の方から「なむあみだぶつ」を称える時に何を考えて称えるのが良いのですか?と聞かれますが、もちろん何を考えながらでもお念仏を称えることが一番大事ですが、私はこの法然上人のお言葉そのままに「このように罪深く、本来は救われがたい自分でありますが、どうか阿弥陀様、後生は極楽浄土へとお救いください。という気持ちで称えるのが良いでしょう」とお伝えしています。
法然上人の真意は『愚者の自覚』を持つことで、本当の意味でのお念仏の有難さ、阿弥陀様の救いの有難さが感じられると受け止めています。今日も謙虚にただ一向に「なむあみだぶつ」。 合掌
※正式な仏教の勉学・修行を経ずに、形ばかりの僧侶(尼や入道)となった者。

