法然上人御遺訓『一枚起請文』⑩
住職三分法話82 令和8年10月1日
前回より『一枚起請文』について思うところを自由に書かせていただいております。今回と次回は『一枚起請文』の中の難しい仏教用語『三心・四修(さんじん・ししゅ)』について書かせていただきます。(今回は三心、次回は四修)
その『三心・四修』が出てくる箇所は
「ただし三心・四修と申す事の候は、皆決定して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思う内にこもり候なり」
という一節です。
この『三心』と『四修』とは浄土宗が大切にするお経の一つ『観無量寿経』に説かれます。(四修は『観無量寿経』の注釈書『観無量寿経疏』に説かれています)
三心とは浄土宗を信仰する者が備えるべき以下の三つの心構えの事です。
至誠心(しじょうしん)→嘘、偽りのない素直な心
深心(じんしん)→己を凡夫と深く自覚する心と阿弥陀仏の救いを深く信じる心
回向発願心(えこうほつがんじん)→お念仏を称え極楽浄土に往生したいと願う心
この三心の説明を初めて見た時「こんな立派な三つの心を自分は持てるだろうか」「信心が足りない自分は極楽浄土に往生できないのではないか」と心配になりました。
しかし法然上人は「三心のひとつひとつを完璧に整えてから念仏を称えなさい」と仰せなのではなく、阿弥陀さまが必ず極楽浄土へ救ってくれると信じて「なむあみだぶつ」とお念仏を称える事が大切であり、ただ一向にお念仏を称える中で自然と三心は備わってくるものですとお示しです。なんともホッとする有難いお示しです。
心構えや志も大切ですが、とにかく「なむあみだぶつ」と声に出して称えることで心は後から付いてくる(備わる)と。
何事もまずはやってみる!やっていく中で心が育つ。人生の教訓を法然上人から教わった気がします。
『一枚起請文』の最後に「ただ一向に念仏すべし」とお示しの通り今日もただ一向に「なむあみだぶつ」 合掌

