住職三分法話66                  

浄土宗の法要 ~施餓鬼法要(せがきほうよう)~

施餓鬼(せがき)という言葉は聞いたことがある方は多いと思いますが、その意味を知っている方は少ないように思います。施餓鬼会は浄土宗はもちろん仏教全体においても重要な法要の一つで、三悪道の一つの餓鬼道に堕ちた者たちを供養するために行われる法要です。

施餓鬼会の起源は、『救抜焔口陀羅尼経(ぐばつえんくがきだらにきょう)』というお経に記されています。この経典によると、お釈迦様の弟子である阿難(あなん)が恐ろしい鬼のような形相の餓鬼に遭遇し、「おまえは三日後に死んで餓鬼になる」と告げられます。驚いた阿難がお釈迦様に救済を求めると、お釈迦様は「餓鬼道の衆生に飲食を施し、供養すれば救われる」と説きました。阿難がその教えを実践したことで、餓鬼たちは救われ、阿難自身も寿命を延ばすことができたとされています。

現代においては、多くの寺院で時期を問わず施餓鬼法要が執り行われています。施餓鬼法要は単独の法要として行う場合もありますが、正覚寺では春と秋の彼岸法要の時に合わせて行っています。全国的にお盆法要と合わせて行う寺院が多く『盆施餓鬼(ぼんせがき)』の呼び名が有名です。

施餓鬼は、単なる餓鬼への供養の儀式ではなく、施しの精神を育み、他者への慈悲を実践する機会としても大切にされています。

これにならい、施餓鬼会では食べ物を供えた祭壇を設け餓鬼を供養し、その功徳をご先祖さまや大切な方に振り向けています。

また津軽地方での施餓鬼の習慣として行っているものでは、お墓参りや新しくお墓を建立した時にお墓の周りにお米と大根を賽の目切りしたものをまぜた『あられ』を撒くことがあります。これはまさにお墓参りと共に施餓鬼供養を行っていることになります。全ての生きる者、餓鬼道で苦しんでいる者にも供養することで、仏教の修行で大切な施し(布施)の気持ちが養われることにつながります。

自分だけではなく、自分の家族や先祖だけではなく、周りの人達への心配りのできるおおらかな心を施餓鬼法要で育みたいものです。

その慈悲の心がご先祖様や亡き大切な方へ供養につながり、その慈悲の心を表す行為が施餓鬼法要での食べ物のお供えと共に称える「なむあみだぶつ」のお念仏です。周りへの気遣いや心配りを忘れずに今日も一日「なむあみだぶつ」  合掌