法然上人御遺訓『一枚起請文』⑧

住職三分法話80                    令和8年8月1日

法然上人御遺訓(ごゆいくん)一枚(いちまい)起請文(きしょうもん)』⑧

前回からの続きとして『一枚起請文』の内容の解説の7回目をお伝えいたします。内容の解説は今回が最終回となります。

原文
浄土宗の安心起行この一紙に至極せり。源空が所存この他に全く別義を存ぜず、滅後の邪義をふせがんが為に所存をしるしおわんぬ。
建暦二年正月二十三日  源空 花押

意訳
浄土宗の安心・起行(信仰心・修行)がこの一枚の紙に言い尽くされています。〔私〕源空の考えは、これ以外にまったく特別なことはございません。私亡き後の間違った理解や教えを防ぐために、思うところを記し終わりました。      
建暦2年(西暦1212年)1月23日  源空(法然) 花押

この『一枚起請文』最後の部分には法然上人が『一枚起請文』を書かなければならなかった理由が示されています。一枚起請文の最後に「滅後の邪義をふせがんが為〜」と示される通り、この世にはびこる「邪義(間違った教え)」を防ぐ為とあります。それだけ法然上人ご在世の鎌倉時代には「邪義」が蔓延していました。
その「邪義」の例として、「念仏で誰もが救われるなら、悪い事をしても念仏を称えれば大丈夫」「一遍の念仏で救われるなら、自分はすでに一遍称えたのでもう救われている」「念仏を称えて阿弥陀仏と一体になり仏と成る」など様々な「邪義」が蔓延していました。
法然上人の念仏の教えはそのような事ではなく『一枚起請文』の中に示される通り「愚鈍の身となして〜智者のふるまいをせずしてただ一向に念仏すべし」です。そしてその行いと信仰によって阿弥陀仏に救われ極楽浄土へ往生させていただくということが浄土宗の教えです。
『一枚起請文』を拝読する度に30年前、修行中に先生から「僧侶として絶対にやってはいけないことは仏教の教えを間違って相手に伝えること」と厳しく言われたことを思い出します。法然上人の教えの通り、智者のふるまいをせず、阿弥陀仏の救いを信じ、極楽往生を願い、今日もただ一向に「なむあみだぶつ」。 合掌