浄土宗の法要⑨ ~記主忌(きしゅき)~
記主忌とは浄土宗の三祖(三代目)良忠上人(りょうちゅうしょうにん)の忌日法要です。
良忠上人は浄土宗の二祖(二代目)聖光上人の直弟子で聖光上人から浄土宗の教えの全てを相伝され、浄土宗の三祖となり、後世に浄土宗の教えを正しく伝えるべく多くの書物(主にお経の注釈書や解説書を中心に約百冊)を記されました。
浄土宗の教義を論理的に解りやすく説かれた良忠上人が記された書物は、現在私たち浄土宗を学ぶ者の教科書となっています。良忠上人が書物として浄土宗の教義を残してくださった事で現在まで800年以上、法然上人の教えが正しく伝わっています。良忠上人は入滅後、後土御門天皇より記主禅師の称号を与えられ、ご命日の7月6日には『記主忌』として全国各地の浄土宗寺院では法要が営まれています。
良忠上人は正治元年(1199)石見国三隅庄(現在の島根県那賀郡)で誕生されました。16歳で出家し辛苦修学の歳月を重ねられる中、38歳の時に浄土宗の二祖である聖光上人に教えを乞うため九州へ行き、聖光上人の元で修行し浄土宗の教えの全てを相承され、わずか1年で聖光上人より「良忠は予が若くなれるなり。宗義に不審あらば良忠について(聞いて)決せよ」と門弟一同に告げられるほど厚い信頼を受けました。浄土宗の二代目聖光上人から浄土宗の三代目を託された良忠上人は教えを全国に広めるべく九州を離れ、諸国での浄土宗布教のため粉骨砕身します。まずは約10年間、石見・安芸(広島県)等の中国地方で布教され、さらにその後の10年間は信州善光寺や下総、上総、常陸の関東地方で教化にはげまれ、62歳の頃に当時の政治の中心であった鎌倉へ赴き、間もなく悟真寺(現在の浄土宗大本山光明寺)を拠点に多数の弟子を養成し、後世に浄土宗の教えを正しく伝えるべく書物の著述にも専念されます。そして78歳の時には京に上がり、布教、著述と超人的な活動を続けられます。京での滞在は88歳までの10年間にもおよび、特に京の法然上人の弟子たちと合流し浄土宗の教えの一致を確認し浄土宗教義の基盤を作られことは後世の浄土宗にとっては最も重要なことでした。88歳の高齢となられた良忠上人は鎌倉へ帰られ、翌年89歳で極楽浄土へ往生されました。
最後に良忠上人の詠まれたお歌をご紹介いたします。
『教えおく この言の葉の 行く末を 思い忘れず 我を訪(とぶら)へ』
意訳 『聖光上人より相伝した浄土宗の念仏の教えを伝えます。死後、極楽浄土への往生を意識して自分自身をよく見つめて念仏に励みなさい』
この言葉の通り、法然上人から聖光上人、聖光上人から良忠上人へ相伝された浄土宗の教えをそのまま受け取り、これからも、ただ一向にお念仏の日暮らしをしてまいりたいと思います。 合掌。「なむあみだぶつ」

