法然上人御遺訓『一枚起請文』③

住職三分法話75                  令和8年3月1日

前回からの続きとして『一枚起請文』の内容の解説の2回目をお伝えいたします。

原文
ただ往生極楽のためには、南無阿弥陀仏と申して、疑いなく往生するぞと思い取りて申す外には別の仔細候(しさいそうら)わず。

意訳
ただ、極楽浄土に往生するためには「南無阿弥陀仏」と称えて、疑いなく極楽浄土へ往生するのだと思い定めて称える他に、別の心構えはありません。

法然上人はこの箇所で念仏を称える目的は「極楽浄土へ往生(行く)するため」
念仏を称える心構えは「必ず極楽浄土へ往生(行く)すると願う」と念仏を称える目的と心構えを明確に述べておられます。

あえて法然上人がこのお言葉を残す必要があったのかを察すると、法然上人ご在世の鎌倉時代、念仏を称える目的や心構えを自分の都合に合わせて間違って解釈する人がいたということであり、それは現代においても同様だと感じます。

例えば「病気が治りますように」「孫が大学に合格しますように」「宝くじが当たりますように」と願い事を心に想い、お念仏を称えることがあるかもしれません。
しかしお念仏は極楽浄土へ往生するための行です。と法然上人がはっきりおっしゃっています。この世は苦しみ迷いの世界で、悩みの絶えない世界ですが、お念仏を称えていれば、命尽きた後には、阿弥陀様が必ず極楽浄土へ迎え取ってくださいます。その確信のもと正しい生活を送ることで、健康を維持できたり、目標の大学に合格できたり、何か良い事が起きたりすることはあるかもしれません。しかしそれはあくまで結果であって、お念仏を称える目的ではありません。

法然上人のお言葉をそのままに、「極楽浄土に救われますように」と願い、これからもただ一向に「なむあみだぶつ」。