法然上人のお弟子達 ~成覚房幸西~
住職三分法話57 令和6年9月1日
法然上人のお弟子達 ~成覚房幸西~
今回ご紹介する法然上人のお弟子は成覚房幸西(じょうかくぼうこうさい。以下幸西)です。
幸西は法然上人の弟子の中でも法然上人から浄土宗の全てが説かれた著書『選択本願念仏集』の所持を許された数少ない弟子の一人でありながら、法然上人から思想の偏(かたよ)りを指摘され破門されたという説もあるほどの異端の弟子です。
幸西は幼少の頃より比叡山で天台宗の僧侶として修行を積んでいましたが、36歳の時に法然上人の弟子となり、浄土宗の教えを法然上人より学びます。
幸西が弟子入りした時の法然上人の年齢は65歳。まさに『選択本願念仏集』を撰述された頃です。完成したばかりの浄土宗の真髄を表した『選択本願念仏集』を入門して間もない幸西に渡した事からも幸西がいかに法然上人の弟子の中でも優秀だったかがうかがえます。
しかし幸西は優秀がゆえにか、自身の元々の仏教の考えと法然上人の浄土宗の教えを独自に解釈し「阿弥陀仏の救いを信じて一遍(一回)でも念仏を称えれば悪人でも救われる」という事を強調し、後に一念義と呼ばれる浄土宗の教えとは異なる考えを布教していきます。そのことによって「悪い事をしても一遍の念仏を称えれば大丈夫」というような本来の浄土宗の教えとは異なる教えが浄土宗の教えとして世にはびこることになってしまいました。
確かに法然上人は「一遍の念仏でも十遍の念仏でも往生する(救われる)」と説かれていますが、ある弟子への手紙で「信心について一遍の念仏で往生できると信じて念仏を称え続けることで信心が深まります。念仏を称えることは生涯続けて励むべきです。」と仰せです。
そしてご遺言とも言える『一枚起請文』の文末では「滅後(私がこの世を去った後)の邪義(浄土宗の教えを曲解する考え)をふせがんがために所存を記しおわんぬ」と幸西のような独自の解釈を邪義と断じて戒めておられます。
私たちは法然上人の教えの通りに智者のふるまいをせずしてただ一向に念仏にはげむのみと改めて思います。 合掌