法然上人のお弟子達~法蓮房信空~(前編)
住職三分法話59 令和6年11月1日
今回ご紹介する法然上人のお弟子は、法然上人の一番弟子であり、法然上人と最も長く時を過ごし(約50年間)、法然上人から最も信頼されていたと言っても過言ではない、法蓮房信空(ほうれんぼうしんくう)(以下信空)です。信空はあまりにも法然上人との関わりが深く、エピソードも豊富な方なので、前編と後編の二回に分けてお伝えさせて頂きます。
信空と言えば、誰もが認める法然上人の一番弟子であり、法然上人の事実上の後継者として法然上人亡き後、天台宗などから弾圧を受け続ける浄土宗を統卒し(実際の教義上の浄土宗の二代目は3月にご紹介した聖光上人ですが)法然上人に代わり長老(責任者)として浄土宗を命がけで守り抜いた方です。
現在、浄土宗が存在するのは間違いなくこの信空の存在があったからだと断言できます。
信空は法然上人より13歳年下であり、12歳の時に法然上人と同じく比叡山の叡空(えいくう)上人の元で仏道を学び始めます。法然上人と師匠が同じですので信空は法然上人にとっては弟弟子に当たります。この時法然上人は25歳。その後20年近く共に比叡山で修行し、信空が30歳の時に法然上人は浄土宗を開宗し比叡山を下りられます。その時に一旦法然上人とは別れますが、その5年後に師匠の叡空上人が亡くなられ、信空はすぐに法然上人の元を訪ね改めて法然上人の弟子となります。
その後は京の町で法然上人と共にお念仏を称え、生活を共にし、共に浄土宗の布教に励まれます。そして『誰もが念仏を称えるだけで阿弥陀仏により極楽浄土へ救われる』という浄土宗の教えは京の町で年を追うごとに広がり、浄土宗の信者は飛躍的に増えていきました。しかし浄土宗の広がりを良く思わない既存の仏教教団や政治権力に仏教を利用しようとする朝廷などから浄土宗は弾圧を受けることになり、1204年(法然上人72歳、信空49歳)に浄土宗の存在を揺るがす大事件が起こり、その騒動を鎮めることに信空が奔走(ほんそう)することになります。その内容は次回詳しくお伝えしますが、ひとまず法然上人と共にお念仏を称え続けた浄土宗の大恩人の信空を見習い、今日もただ一向に「なむあみだぶつ」。 合掌。