住職三分法話⑩

楽しい時も辛い時も 

いつでもどこでも 

「なむあみだぶつ」

 

以前ある檀家さんから「《なむあみだぶつ》はいつ称(とな)えればいいのでしょうか?」
と聞かれたことがあります。その時の私は「いつでも称えてください。お念仏と称えなが
ら生活することが浄土宗の基本ですから、思いついた時はいつでもどこでも《なむあみだ
ぶつ》です」と答えさせていただきました。

その理由は「なむあみだぶつ」は「阿弥陀様に極楽浄土へ救ってください!」という意味
で阿弥陀様はいつどこでこの命が終わっても必ず迎えにきて、極楽浄土へ救ってください
ます。命の終わりがいつ来るかわからないのが人生であり、その時がいつ来ても慌てるこ
とのないよう常に「なむあみだぶつ」と称える中で生活をすることが大切だからです。

鎌倉時代、法然上人のお弟子さんの一人に津(つ)戸(との)三郎(さぶろう)為(ため)守(もり)
という関東武士がおられました。手紙で法然上人にたびたび教えを請うほどの熱心なお弟子
さんでした。また現在に残る法然上人のお手紙30通のうち9通が為守公宛であるほどの法然
上人との親交が深かった方でもあります。為守公は法然上人の弟子になった後、関東に戻り
ます。関東は法然上人がお住まいの京都とは遠く離れた地です。当時、関東ではお念仏の教
えを説く方はいませんでした。為守公はそれでも法然上人の説くお念仏の信仰を一心に信じ、
お堂を設け、お念仏を一生懸命称える生活を送ります。法然上人も離れた地でお念仏を称え、
周りの者にもお念仏の教えを広めている為守公に対して、とても温かいお言葉を掛けて常々
励まされました。為守公はその法然上人からのお手紙を錦の袋に入れて肌身離さず大切に持
っていたそうです。為守公が残してくれたお手紙により、現在の私たちが法然上人の温かい
お心遣いを知ることができます。あたかも法然上人から遠い時と場所を隔てて、直接教えを
聞いているかのようです。そのお手紙の一つをご紹介させて頂きます。

為守公がお念仏を称える時に心構えについて法然上人に尋ねた時のお返事のお手紙です。

「お念仏は、歩いていても坐っていても横になっていても、いつでも、どこでも、己がどん
な状況でも、そんなことには関わらないことです。たとえ、見かけや口・身体が汚れていよ
うとも、心を清らかにし、いつも忘れずにお念仏を称えることが、肝心なことです」 

お念仏は、いつでもどんな時もひたすらに称えることが肝心です。と分かりやすく答えてく
ださっています。

楽しい時も辛い時も場所も時間も問わず、いつでもどこでも「なむあみだぶつ」と称えるこ
とが、この世を強く正しく生きる為に大切ですと時代を超えて法然上人が語りかけてくれて
いるようです。コロナ禍の今を生きる私たちも法然上人の教えの通り、いつでもお念仏を称
え心穏やかに過ごしたいものです。

ちなみに為守公は法然上人のご往生から31年後、法然上人と同じく80歳でご往生されていま
す。80歳になった時に念仏を称えてながら自ら命を絶ってのご往生だったと伝わっています。
生涯、法然上人のお念仏の信仰を一心に貫かれた方でした。
同称十念