法然上人のお弟子達 ~証空~

浄土宗という宗旨が現在、四派の宗派に分かれていることをご存じでしょうか?

(文化庁に登録されていない浄土宗の流れを組む諸派は他にもあります)

正覚寺が所属する宗派は現在『宗教法人 浄土宗』という名で文化庁に登録されていますが、教義的に分類すると鎮西派(ちんぜいは)《総本山・京都知恩院》という、前々回の『住職三分法話』でご紹介した聖光上人の流れを組む宗派となります。

鎮西派の他には

浄土宗西山深草派(せいざんふかくさは) 《本山・京都誓願寺》

浄土宗西山禅林寺派(せいざんぜんりんじは) 《本山・京都禅林寺》

西山浄土宗(せいざんじょうどしゅう) 《本山・京都光明寺》

の四派があります。

今回ご紹介する証空上人(以下敬称略)は鎮西派以外の流れを組む浄土宗西山三派の西山派の祖といわれる方です。もちろん法然上人の直弟子である証空が自ら法然上人の教えと違う宗派を興した訳ではなく、証空の弟子達が後世において西山派を名乗り証空を派祖とした集団を形成したという歴史的な事実ははじめにおことわりをしておきます。

証空は1177年、加賀の武士の子として生まれ、14歳の元服にあたり発心出家し、法然上人の弟子となります。その時法然上人は58歳。それ以降、法然上人がご往生されるまで法然上人の側近の弟子として約23年間法然上人の元で修行、修学します。

証空は秀才ぞろいの法然上人の弟子の中でも一番と言って良いほどの秀才であり、法然上人の元で浄土宗の教えを学ぶと同時に天台宗の教義も修学し、お経を一度見聞すればすべてを理解してしまったと伝わります。その証として入門からわずか8年の時、法然の代表的な著書『選択本願念仏集(選択集)』の撰述にあたって、引用文との照らし合わせをする勘文(かんもん)という重要な役を任されています。この役は法然上人同様、お経の全てを理解していなければ務まらない大役です。さらに『選択集』の解説を法然上人に代わって貴族に講じた記録もあります。

また、1204年『七箇条起請文』という浄土宗の教えを正しく行う誓約書に法然上人の弟子達190名が署名をした名簿の記録には26歳という若さでありながら四番目に署名しており、そのことからも法然上人の弟子達の中でも極めて優秀であり、信仰が深かったことが伺えます。

証空は法然上人ご往生の後、京都の東山吉水から西山という地に移り、念仏の教えを実践し多くの人々に浄土宗の教えを講説し、多くの弟子を育て、71歳の臨終の際は、合掌し念仏を称えながらのご往生だったと伝わります。

京都に行ったときにはぜひとも西山派の本山にもお参りし念仏信仰の先達である証空さんに想いを馳せたいと思います。               合掌