住職三分法話④

令和2年6月1日 写経会  住職三分法話④

『本質を見定める心』

 

先日、テレビで栄養学の先生が納豆は先にかき混ぜてからタレを入れた方が、旨味や栄養が落ちずに美味しく食べられると言っていたのを見て、早速その通りに食べてみました。すると妻は「専門の先生が言う事はすぐに取り入れるね」と言いました。私は毎日、納豆を食べているのですが特に気にせず先にタレを入れてからかき混ぜて食べており、以前妻が同じことを教えてくれていましたが、特に気に留めていませんでした。その納豆の話から他にも、妻と尊敬する先輩から同じ内容のアドバイスを頂いた時も妻から言われた時は聞き流し、先輩に言われた時に行動に移した事があったと言われました。妻は私の事を考えて言ってくれているのに、私はその事に感謝の気持ちを持つどころか、妻の気遣いを無下にしていました。内容ではなく「誰からの情報か」ということに左右されていたことは本当に愚かだったと今は反省しています。

最近、法然上人の弟子の阿波介(あわのすけ)さんを思い出しました。

阿波介さんの職業は陰陽師(朝廷の官職で占いや祈祷などをする人)でしたが、私生活では極悪非道のかぎりをつくしていた悪人でした。阿波介さんはある時、法然上人に出会い、「南無阿弥陀仏」と念仏を称えることでこんな自分でも地獄に落ちずに救われるという教えに感激し、それまでの悪行を悔い改め、出家し法然上人の弟子になり、その後は熱心な念仏の行者になりました。

その阿波介さんにまつわる、こんな話があります。

ある時、法然上人が、大勢の弟子の前で、阿波介さんを指して、「阿波介が申している念仏と、この私法然が申す念仏と、どちらが優れていると思うのか」 と聖光(しょうこう)上人(法然上人から後に浄土宗の二代目を託された方)にお尋ねになられました。

すると聖光上人は「法然上人と阿波介のお念仏が同じはずはありません。法然上人が称えるお念仏のほうが優れているに決まっています」 と答えます。
法然上人は血相を変えられて「お前は日頃から浄土宗の教えというものをどのように聞いていたのだ! この阿波介も阿弥陀様、助けてください!“南無阿弥陀仏”と申している。 この法然も阿弥陀様、助けてください!“南無阿弥陀仏”と申している。誰が称えようと、お念仏に違いなど全くないのだ!」 と厳しく諭(さと)されました。

この話には後日談があり、聖光上人は晩年このことに関して「お念仏の尊さは誰が称えても同じと心得ていたが、法然上人から改めてお念仏の尊さを直接聞くことができたことがありがたく、感動の涙がとまらなかった」と思い返されておられます。

誰が言っていたとか、誰に言われたとか、その時の自分のあいまいな気持ちに惑わされることなく、大切なことの本質を見定めることができるよう日々精進いたします。

同称十念

IMG_9267