住職三分法話⑧
令和2年8月1日 住職三分法話⑧
『離れていても心は同じ』
露の身はここかしこにて消えぬとも
心は同じ花の台(うてな)ぞ
意訳 人の命は露の雫のようにいつ消えるか分からない儚いものですが、
念仏を称える者同士は必ず次の世、極楽浄土の蓮台で再会が叶います。
たとえ、この世で離れたとしても、いつでも心は繋がっていますよ。
法然上人があるお弟子さんとの今生の別れの時に読まれたお歌です。
先日、弘南地域のお寺のご住職から伺った、檀家さんのお話です。
昨年の夏に旦那様を亡くされた奥様から一周忌のご法事のご予約のご連絡の電話がありました。
その方は岩手県に住んでおられ、今は新型コロナウィルスの影響で県をまたいでの移動を自粛し
なければならず、法事に行く事はできないのですが、ご住職にお寺で一周忌のお勤めをお願いで
きないか?ということでした。ご住職はこの状況下でこのような形でも旦那様の一周忌を勤めた
いという奥様の思いを感じ、快くそのご法事を引き受けられました。
そして数日後、一周忌の前日にその奥様から改めて電話があり
「ご住職、明日は主人の一周忌の法事は何時頃に勤めていただけますか?」と
「10時頃から勤める予定でしたが、どうしました?」とご住職が聞き返すと
奥様は「そうですか、じゃあ私も10時に仏壇の前に座って一緒にお念仏を称えます」と答えられ
たそうです。
ご住職はその言葉、想いに感動し
「それは尊いことです。場所は違ってもそのお気持ちは必ず極楽の旦那様にも届いていますよ。
私も明日は10時から本堂でしっかりと勤めさせて頂きます」と言って電話を切られたそうです。
このお話を聞いて、同じ場所に集まることが難しくとも、心を寄せるとはどういうことか、供養
させて頂くこととはどういうことかを改めて感じさせていただきました。今、新型コロナウィルス
の影響でこれまで当たり前だったことが出来ない世の中になっています。今まで考えなかったこと
を考えることも増えました。場所は違っていても心の距離は関係ありません。
この世とあの世と離れていても「心は同じ花の台(うてな)」と法然上人もお示しの通り、私たち
は今の状況に惑わされることなく、心穏やかにお念仏を称え、供養の字の通り、己の心を養うこと
に精進してまいりたいものです。
同称十念