住職三分法話⑮
令和3年3月1日 住職三分法話⑮
誰かと比べてしまう自分
浄土宗のお勤め(読経)は、法然上人が師と仰いだ善導大師の書かれた経典の中の『香偈(こうげ)』というお経から始まることは前回の法話でお伝えしましたが、
次のお経は同じく善導大師の書かれた経典の中の『三宝(さんぽう)礼(らい)』です。
一心(いっしん)敬礼(きょうらい)十方(じっぽう)法界(ほうかい)常住仏(じょうじゅうぶ) (心から敬って全ての世界の仏様に礼拝(らいはい)します)
一心(いっしん)敬礼(きょうらい)十方(じっぽう)法界(ほうかい)常住法(じょうじゅうほう) (心から敬って全ての世界の仏様の教えに礼拝(らいはい)します)
一心(いっしん)敬礼(きょうらい)十方(じっぽう)法界(ほうかい)常住僧(じょうじゅうそう) (心から敬って全ての世界の仏様の教えを守る僧達に礼拝します)
『香偈(こうげ)』によって身心を清めた後、『三宝(さんぽう)』と向き合い、自身の信仰心を確認します。
仏とは、阿弥陀様を含めたすべての仏様、法とは、お経に説かれるの仏教の全ての教え、僧とは、法然上人を含む先達の仏教修行者です。
仏と、仏教の教えと、その教えに基づいて修行する僧を「三宝」と表します。
この『三宝礼』は日常の自身を写し出す鏡のようなお経だと思っています。日頃、意識はしていなくとも誰かと自分を比べて安堵している自分に気付いた時、
何とも言えない恥ずかしい気持ちになります。自分を棚の上にあげて、あの人よりマシだと思ってしまう弱い心。
自分より劣っていると思う人を見ては安堵する弱い心。テレビや新聞で見る誰かの事件や失敗を責めることで安心を得る弱い心。
思い返せば毎日のように繰り返してしまっています。
自分と他人を比べれば、誰でも自分を正当化して自分の醜いところは見ないものです。
他人ではなく、仏様と自分を比べるとどうでしょう。お経に説かれる戒律に自分を照らし合わせたならどうでしょう。法然上人と自分を比べてみるならどうでしょう。
比べるのもおこがましいです。
誰もが仏様の前、仏法の前、尊敬する方の前では自然と頭が下がるはずです。
人々から『知恵第一の人』と言われた法然上人はご自身のことを『愚痴の法然房』と仰せです。法然上人はご自身の内面をしっかりと見つめ、他人と比べることはせず、
常に阿弥陀様を鏡とされておられたので、おごることなく、鏡に自分の心が映ったならば『愚痴の法然房』と自身をご覧になられました。
『三宝礼』を拝読する時はもちろん、日常から謙虚に自身を見つめることが大切だと改めて思います。
同称十念