住職三分法話⑰
令和3年5月1日 住職三分法話⑰
懴悔(さんげ)のお念仏(ねんぶつ)
浄土宗のお勤めでは仏様を道場にお迎えした後、仏様の前で自身を問うお経、
『懴悔偈(さんげげ)』を称えます。懴悔は仏教の読み方ではさんげと読みます。
我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
皆由無始貪瞋痴(かいゆむしとんじんち)
従身語意之所生(じゅうしんごいししょしょう)
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)
《意訳》
「私が今だけではなく昔から造ってきた悪い行為は、すべて始まりも分からない
ほどの昔からの貪欲(よくばり)と瞋恚(いらだち)と愚痴(愚かさ)によるもので
身(からだ)と語(ことば)と意(こころ)より生じたものです。
その一切を含み仏の前に告白し悔い改めます懴悔とは自分の過去の罪悪を仏様の前で悔い改め、
再び罪を犯さないことを誓うことです。
罪には実際に法律に触れるような罪、法律には触れないが人に迷惑をかけるなどの道徳的な罪、
そして行動や言葉には出さずとも心の中で悪い事を考えたり思ってしまう宗教的な罪の三通りがあります。
ただ心に思うだけなら罪とはならない気もしますが、罪とは包み隠すことと言われます。
すべてをお見通しの仏様を前にすると、あまりにも煩悩だらけで罪深い自分が恥ずかしく、
まっすぐ仏様のお顔を見れなくなります。
仮にそれほど懴悔することがないと思う時があったとしても、それは自分の心が見えていないだけで、
全くほこりのないと思われる薄暗い部屋の中で、一筋の光が差し込むと、おびただしい塵ほこりが
あったことに気づかされるようなものです。
やはり私たち人間は煩悩まみれで、仏様を前にすると懴悔せざるをえなくなるものです。
そして懴悔(さんげ)の最上の方法はお念仏を称えることです。
本来、どうしようもない、救われ難い自分であることに気づき懴悔することで心から
「どうか救ってください!」の想いが湧きお念仏が称えられるはずです。
浄土宗のお念仏は懴悔の念仏です。
今日もおごり高ぶらず、いつでも仏様に見て頂いている思いで「なむあみだぶつ」と
謙虚にお称えし過ごしたいものです。
同称十念