法然上人のお弟子達 ~親鸞~

住職三分法話㊿

令和6年2月1日

浄土宗開宗850年の節目の今年は法然上人と同じ時代を生きた直弟子の方々を紹介いたします。お念仏の信仰の先輩方のお姿を知ることで、今を生きる我々の念仏信仰のお手本とさせて頂きたいと思います。

今回は法然上人の直弟子の中でも最も有名な親鸞(敬称略)をご紹介いたします。

親鸞は浄土真宗の宗祖であり、法然上人の浄土宗とは別の道を進まれたような印象がありますが、実際は「法然上人になら、騙されて地獄に堕ちても、後悔しない」と語るほど法然上人を慕い、その教えを愚直に貫いた直弟子でした。

親鸞は1173年(承安3年)年、京都で朝廷に使える役人の子として誕生します。9歳の時、出家し比叡山で20年間、厳しい修行の日々を送ります。しかし、どれだけ修行しても、自身が求める覚りを開く道を見出すことはできず苦悩の日々を送ります。そして29歳の時、比叡山の仏教と決別し、道を求めて京都・六角堂に籠り、その修行の中で夢のお告げに導かれ、同じ京都に住む法然上人を訪ねます。

法然上人は身分や素性に関係なく誰に対しても平等に「ただ念仏を称えてください。阿弥陀様は必ず極楽浄土へ救ってくださいます」とお説きになっていました。親鸞はこの法然上人が説く教えこそが自分が求める仏道だと確信し、法然上人を生涯の師と仰ぐことを決めます。

その後は法然上人のもとで弟子として約6年間共に過ごします。その間に、法然上人から浄土宗の念仏教えの全てが記されている『選択本願念仏集』の書写を許されるなど熱心な念仏信者となります。そしてこの時期、当時の常識では許されない僧侶でありながら結婚をします。

結婚について法然上人は「妻帯して念仏が称えられるならそれも良いでしょう。大事なことは念仏を称えることです」と仰せです。

念仏が何よりも大事であり、念仏を称える者を阿弥陀様は身分や素性に関係なく平等に極楽へ救ってくださる。という法然上人の教えを親鸞は結婚したことで体現したとも言えます。

親鸞は35歳で法然上人のもとを離れ、その後は越後(新潟県)、常陸(茨城県)、京都で念仏信仰を貫き、多くの方に念仏の教えを説きました。

親鸞は法然上人のご往生から50年後の1262年(弘長2年)年に90歳で往生を遂げます。その後は親鸞の血縁の弟子たちがそれぞれに教団を形成し浄土真宗として現在に至ります。

親鸞の愚直な求道の姿に想いを馳せ、ただ一向に「なむあみだぶつ」。