住職三分法話⑲
令和3年7月1日 住職三分法話⑲
心が乱れても大丈夫
弥陀本誓願 みだほんせいがん
極楽之要門 ごくらくしようもん
定散等回向 じょうさんうえこう
速証無生身 そくしょうむしょうしん
《訳》
阿弥陀様の本願は極楽往生のための大切な教えです。定善・散善のいろいろな修行によって得た功徳を回し向けて、
速やかに無生身(極楽へ往生することが確定)となりますように。
このお経は『本誓偈(ほんぜいげ)』という“自身の極楽往生のために功徳を回し向ける”ためのお経です。阿弥陀様の
誓いは、お念仏を称えれば誰でも極楽に往生できるという大切な教え(=要門)です。
遠い昔、阿弥陀様は仏になられる前、仏になると発心し、“私はこのような仏になりたい”と四十八の誓いされ、
はてしなく長い修行の末、仏に成られました。
その内容は『無量寿経』というお経に詳しく説かれ、その中心として“念仏を称える者、全員、必ず極楽へ往生させる
ことができる仏となる”という誓いが説かれています。これは私達が念仏を称えることで極楽へ往生できるという
浄土宗の教えの根拠となる誓いです。
『本誓偈』の後半の“定散等回向”の定(じょう)・散(さん)とは、『観無量寿経』というお経に説かれている修行の時の
心の状態のことです。
定…精神統一した状態で行う修行(お念仏)
散…精神統一していない状態で行う修行(お念仏)
精神を統一してお念仏を称えることは最も尊いことです。しかし心が散乱しながらも念仏を称えることも尊いです。
どちらも等しく尊い善い行いですと説いています。
よくよく考えると精神を完全に統一しながら念仏を称えることなどできないのが私たち人間です。この『本誓偈』は“
そのままの心で大丈夫ですよ”という優しい教えであり、とにかく心が乱れても救いを信じてお念仏を称えることで、
阿弥陀様は等しく救ってくださいます。ということを証明しているお経です。
無生身とは、“迷いのこの世に生まれ変わることのない身”という意味で、証するとは極楽往生間違いなしという意味です。
『本誓偈』はお念仏の功徳を回し向けて、速やかに極楽往生が確定するように願うお経です。このお経をお唱えすることで、
直前に行った“読経”やお念仏の功徳を回向の対象の方に振り向け、自身の信仰心を深めていることにもなります。
毎日のように心がゆれて散乱してしまう私たちですが、その毎日の中で「南無阿弥陀仏」とお念仏を称え、信仰心を
養い続けてまいりましょう。
合掌 同称十念