住職三分法話㉑
住職三分法話㉑
念仏の数について
浄土宗において最も大切なことは「なむあみだぶつ」とお念仏を称えることです。
では何回「なむあみだぶつ」を称えれば良いか?というと
答えは“何回でも良い”です。
しかし“何回でも良い”ということをどのように受け止めるかによって信仰の深さに違いは生じるはずです。
法然上人は「生活の中で念仏を称えるのではなく、念仏を称える中で生活をするように」とお示しです。
法然上人ご自身は晩年、毎日6万回のお念仏を称えられました。一秒間に一回称えたとしても15時間以上
かかります。まさにお念仏を称える中で生活をされておられました。
仏教の教えにおいては「なむあみだぶつ」と一回でも称えたならば阿弥陀様は極楽浄土へと救ってくださいます。
ではなぜ何回も称える必要があるのかというと、法然上人は「本来は地獄へ落ちるかもしれない私が、ただ一回
のお念仏で救っていただける有難さを思うと、その嬉しさから何回も称えずにはいられない思いが沸くものです」
と語られています。
その思いの根底には、人間は本来、地獄へ行くことが当たり前で、自身も当然地獄に落ちるであろうという“凡夫の
自覚”がありました。人々から「知恵第一の法然様」と慕われた法然上人がそのような謙虚な思いでお念仏を称え続
けておられたお姿を想像すると、まさに浄土宗に縁をいただく私達がお手本とさせていただくべきお姿です。
では、お念仏の中で生活をするにはどうすればよいかというと、やはり“回数を決める”ことが良いと思います。
人は時が経つと、忘れたり、怠けたりするものです。
回数を決めることは法然上人もお勧めしています。
例えば朝起きて10回、仏壇の前で20回、三食の食事の前と後で10回、寝る前に10回で一日に100回称えることに
なり、法然上人の6万回には遠く及びませんが、自然とお念仏の中で生活することができるようになります。
そして続けることでその回数は徐々に増えていくはずです。
お念仏の中で生活することで、この命がいつ尽きても必ず阿弥陀様が極楽浄土へ救って下さるという信仰を深め、
共に後生の不安のないお念仏生活を送りましょう。
合掌 同称十念