住職三分法話㉘ 法然上人と御家人➀ ~甘糟忠綱(あまかすただつな)~

住職三分法話㉘

令和4年4月1日

法然上人と御家人(ごけにん)➀ ~甘糟忠綱(あまかすただつな)~

 

法然上人がご在世の鎌倉時代、将軍(鎌倉殿)と主従関係を結び家来(家人)となった武士を
将軍への敬意を表す「御」をつけて御家人と呼ぶようになりました。
その御家人の中には法然上人の弟子となられた方が多くおられます。

武蔵の国の御家人、甘糟忠綱もその一人です。
甘糟忠綱は建久三年(1203年)【1192年説もあり】10月、京の東山の草庵で暮らす71歳
の法然上人を訪ねました。
命令により戦場に向かう直前だった忠綱はどうしてもその前に法然上人に一目会って聞きた
いことがありました。
忠綱は法然上人の説く念仏の教えを信仰してはいましたが、武士という人を殺すことを
生業(なりわい)とする己に悩んでいました。

そして法然上人に次のような質問をします。
「私は武士の家に生まれ、これまでもこれからも戦をして殺生をしなければならない身です。
もし仏門に入り武士を辞めたならば末代まで臆病者と呼ばれるでしょう。何とか武士を続け
ながら後生、極楽へ往生することはできないでしょうか?」

その質問に法然上人が静かに答えられました。
「阿弥陀様はその人の罪を選ぶことは無く、時も場所も縁も関係なく、今の身のまま“なむ
あみだぶつ”と己の罪を懴悔し念仏を称えることで、必ず救ってくださいます。あなたも必ず
極楽往生が遂げられる事でしょう」

忠綱はそのお言葉に感激し、鎧の下に袈裟をかけ、戦場へ向かいました。
もとより、命捨てる覚悟で挑んだ戦いは壮絶を極め忠綱は重傷を負い
「もはや、これまで!」と覚悟を決めた忠綱は、刀を捨て、声高々に念仏を称え
合掌したまま敵に討たれました。

その時不思議なことに上空に紫色の雲が沸き立ち空をおおいました。

後にその知らせを聞いた法然上人は「あぁ、甘糟が極楽往生を遂げたのですね」とつぶや
かれたと伝記に伝わっています。

殺生は絶対に良くないことですが、阿弥陀仏の救いを純粋に信じ、己の生業をつらぬいた忠綱の
生き様は見習いたいものです。                        同称十念