浄土宗の法要⑩ ~十夜会(じゅうやえ)

                  令和7年11月1日

秋の深まりを感じるこの時期に全国の浄土宗寺院では『十夜会』(じゅうやえ)《『十夜法要』(じゅうやほうよう)ともいう》が行われます。

『十夜』とは『十日十夜』を略したもので、本来は十日十夜の間、昼夜を問わず「なむあみだぶつ」とお念仏を称える法要です。現在では様々な事情から数日から1日間で法要を行う寺院が多いですが、『十夜会』を十日十夜の間、行う意味はお経の中に示されています。
『無量寿経』というお経に「この世で十日十夜にわたって善行(念仏)を修することは、仏の国(極楽浄土)で千年修行するよりも勝れている」と説かれています。
なぜ、極楽浄土での千年の修行よりもこの世の十日間の修行のほうが勝れているかというと、極楽浄土では修行の妨げになるものが一切無いが、この世は修行の妨げになるものばかりで、なかなか修行が進まない苦しみと煩悩の世界だからです。仮に十日十夜の間「なむあみだぶつ」を称え続けることを想像しても、眠気や空腹や余計な考え事などが湧いてきて十日十夜の間、連続で「なむあみだぶつ」を称えることはほぼ不可能だと気付きます。そのような修行が進まないこの世で行う修行はやはり尊いという事です。
そして『十夜会』は阿弥陀様が私達を極楽浄土へ救う為に想像もできないほどの長い間考え、私達に代わって修行してくださり、仏様と成られたことに感謝する法要でもあります。
同じく『無量寿経』というお経には、はるか昔、阿弥陀様は仏様に成る前、「すべての人が救われる苦しみの無い世界(極楽浄土)を築きたい」と願いを立て、五劫(ごこう)という気が遠くなるほど長い時間、思索を重ね、その結果、それを実現するために長く厳しい修行を行い、ついにその修行と願いが成就して、阿弥陀様という仏様に成られた。そして仏様と成った阿弥陀様は「なむあみだぶつ」と称え、救いを求める者を必ず極楽浄土に救う仏様です。と説かれています。
このお経に説かれる物語を単なる物語としてではなく、本当に私達の為に私達に代わって阿弥陀様が長い長い間考え、修行されたと想像するとその深い慈悲を改めて感じ、自分を極楽浄土へ救ってくださる唯一の仏様である阿弥陀様への感謝の想いが湧いてきます。

お経に説かれるの教えをそのまま受け取り、『十夜会』では阿弥陀様への感謝の念を込めて「なむあみだぶつ」とお念仏を称えて参りたいと思います。 合掌。