住職三分法話③
令和2年5月18日 観音講 住職三分法話③
『明日があるさ』
今から57年前の昭和38年に坂本九さんが歌い大ヒットした『明日があるさ』(青島幸男作詞)は多くの日本人になじみのある名曲だと思います。歌詞は次の通りです。
♪いつもの駅で いつも逢う セーラー服の お下げ髪
もうくる頃 もうくる頃 今日も待ちぼうけ
明日がある 明日がある 明日があるさー♪
気になる女性に声をかける勇気がなく、ひと目見る為だけに毎日待ち続ける自分に「明日があるさ」と慰めるのんびりとした歌詞が当時、多くの若者から共感を得たようです。
先日、あるテレビ番組でウルフルズが歌う『明日があるさ』が流れてきました。平成13年に歌詞が変更され(こちらも青島幸男作詞)、再び大ヒットしました。
♪新しい上司はフランス人 ボディーランゲージ(身振り手振り)も通用しない
これはチャンス これはチャンス 勉強し直そう
明日がある 明日がある 明日があるさー♪
坂本九さんが歌った歌詞とは違い、こちらはサラリーマンに向けた逆境に屈しない前向きな歌詞が時代と合って流行りました。坂本九さんの時代は高度経済成長期、ウルフルズの時代はアメリカ同時多発テロ事件が起こり経済が低迷した時期、そして現在は新型コロナウィルスで先の見えないかつてない閉塞感に包まれる世の中です。この歌詞のようにピンチをチャンスと捉えることは様々な境遇の中でなかなか難しい時ですが、少しでも前を向いて進むことができれば明日に希望が持てる気がします。
思えば浄土宗を開かれた法然上人もピンチをチャンスに変える連続のご生涯でした。特に現在の状況において、私たちがお手本としたいエピソードがあります。
今から約820年前の鎌倉時代、法然上人七十五歳の時、弟子の犯した罪の責任をとり京都から四国の讃岐へ流罪となってしまいます。さらに法然上人の浄土宗の念仏の教えそのものが朝廷からは邪教(じゃきょう)として扱われることにもなりました。
その時、弟子の一人が老齢の法然上人を心配し「今は念仏を止め、朝廷に流罪を許してもらうように嘆願してはどうでしょうか。そして騒ぎの収束後、また念仏をされてはどうでしょうか?」と申し上げたところ、法然上人は弟子の言葉を意に介さず「私は流罪になったことを少しも恨んではいない。この流罪によって浄土宗の念仏を讃岐の方々にもお伝えできることは、またとない機会ではないか。これはまさに朝廷のご恩と受けとるべきではないか」と迷いなく讃岐へ旅立たれ、その後、讃岐はもちろん行く先々で念仏の布教を続けられました。この時の法然上人の強い意志と命がけの行動は、どんな状況でも信念を曲げず前向きに行動することの大切さを教えられているようで、私たちがお手本とすべきお姿だと思います。
現在のような状況だからこそ、法然上人が命をかけて伝え残してくださったお念仏をしっかり称えながら、『明日があるさ』と前向きに生きていきたいものです。
同称十念