法然上人のお弟子達 ~禅勝房~

住職三分法話52

令和6年4月1日

法然上人のお弟子達 ~禅勝房~

今回は法然上人の多くのお弟子さんの中でも特に法然上人と多くのお手紙のやり取りをされ、多くの法然上人のお言葉を後世(現在)に残された禅勝房様(以下敬称略)をご紹介いたします。

禅勝房は元々天台宗のお坊さんで、修行や学問をすればするほどにご自身の器が「とても天台の教えについていけない。私のような者がこの世で覚りを得ることは不可能だ」と思い悩みます。そのような悶々とする気持ちの中で修業を続けていましたが、ある時、京の都で法然上人という方が「念仏を称えるだけで誰もが救われる」という教えを説いているということを耳にします。

禅勝房は知人を介して法然上人を訪ね、教えを請います。禅勝房は法然上人から「厳しい修行は誰もが行う事はできないが、浄土宗は難しい学問や厳しい修行で救われない自分を正面から見つめて、自分の力ではなくお念仏を称えることで阿弥陀様の力で救われていくという教えです。」と説法を受けます。
自身が求める仏教の救いが法然上人が説く浄土宗のお念仏であると確信した禅勝房はすぐに法然上人の弟子になることを決めます。
その後、禅勝房は、ひたすらお念仏一行に打ち込まれました。法然上人の直弟子として共に修行された期間は約2年ほどと短い期間でしたが、法然上人門下の中でも特に「信心の禅勝房」と言われるほど熱心なお念仏の行者となられ、地元である遠江(静岡県)に帰り遠江の地で浄土宗のお念仏の教えを自ら行いながら広められました。
その遠江の地から禅勝房が法然上人に書いた手紙とその返信として残る法然上人のお言葉をご紹介いたします。
禅勝房「南無阿弥陀仏とお念仏を称えれば極楽浄土へ往生できるということは確信しました。その上で私は臨終の時まではどのように過ごせばよろしいでしょうか?」
法然上人「この世を過ごすにはとにかくお念仏を申しやすいようにして過ごしなさい。お念仏の邪魔になることを止めてしまいなさい」
これは一見なんでもないようですが、真剣に考えると非常に厳しいお言葉です。私達は日常生活の中で「お念仏を申しやすいように」と思ってしていることがどれほどあるでしょうか?
朝のお勤め、仏教の勉強、お墓参り、お寺の法要にお参りなど。。
逆に「これを止めればもう少しお念仏を称えることができる」ということは無限にあります。
食事、睡眠、人間関係、仕事、遊び。。。無限にあります。
このお言葉を真剣に受け止めると私達の生活自体ままならなくなります。
これは禅勝房という信心が堅いことで名高いお弟子に対して法然上人がおっしゃったお言葉ですので、特に厳しいと思いますが、これを私達がどのように受け止めていくかを考えて生活することが大事であり、この世はお念仏を称える事が簡単なようで実はとても難しいとも受け止められます。日々の生活の中でお念仏称え続けることは難しいですが、お念仏を称えることが大事であることを忘れずに禅勝房さんのように出来る限りのお念仏に日々精進したいと思います。
「なむあみだぶつ」 合掌