住職三分法話⑬

ご縁  ~牛にひかれて善光寺~

 

明けましておめでとうございます。今年は丑年(うしどし)ですが、『牛にひかれて善光寺』ということわざがあります。

意味は【思いもよらない縁によって良いほうに物事が進むこと】です。

その由来は

昔、善光寺から東に十里の村里に欲張りで信仰心の薄いおばあさんが住んでいました。ある日、川で布を洗濯し干していると、どこからか一頭の牛が現れ、角にその布を引っかけて走って行きました。あわてたおばあさんは、布を取り戻したい一心で、牛の後を一生懸命追いかけました。走りに走って、おばあさんはついに善光寺までたどりつきました。ところが牛の姿を見失い、日も落ちて途方にくれ、仕方なく善光寺の本堂で夜をあかすことになります。するとその夜、その夢枕に阿弥陀様が現れ、おばあさんの日頃の不信心をおさとしになりました。目覚めたおばあさんは、今までの行いを悔いて善光寺の阿弥陀様に手を合わせました。その後、信心深くなり、たびたび善光寺に参拝に訪れるようになったおばあさんは、やがて阿弥陀様に救われ極楽往生を遂げたということです。

 

人生では自分では考えてもいなかった事がご縁により良い事、悪い事いろいろな事が起こります。昨年から続く新型コロナウィルスの今の状況を一年前、誰が想像できたでしょう。

思いもよらないご縁に会い、苦難や悲しみが訪れても、仏教の教えではそれも一つの縁だと考えます。その縁を悪い縁、良い縁ととらえるのは自分の心です。

法然上人もご自身の人生において様々な苦難や悲しみに会われましたが、この苦しみの多い世の中で仏教に会い、阿弥陀様の救いのご縁に会えたことは「天に仰ぎ地に伏して喜ぶべきこと」と仰せです。

この世は自分の思い通りならないことばかりで、世の中が閉塞感につつまれる今ですが、このご縁と向き合い、今、自分が信じる道を進み、やるべき事をしっかり行うことで、自分の力の及ばない尊いご縁に導かれ、世の中が良いほうに進む気がいたします。

新年を迎えた今、『牛にひかれて善光寺』のように、良いご縁に導かれ、一日も早く新型コロナウィルスが収束することを願うばかりです。

そして私自身は今年も仏教のご縁に導かれた喜びを忘れず「なむあみだぶつ」とお念仏を称える中で、謙虚に精進して参りたいと思っています。

同称十念