住職三分法話⑭

令和3年2月1日   住職三分法話⑭

 

                     丁寧に生きる

 

浄土宗のおつとめ(読経)は、法然上人が師と仰いだ善導大師の書かれた

経典の中の『香偈(こうげ)』という次のお経から始まります。

 

願我身浄如香炉(がんがしんじょうにょこうろ)

願我心如智慧火(がんがしんにょちえか)

念念焚焼戒定香(ねんねんぼんじょうかいじょうこう)

供養十方三世仏(くようじっぽうさんぜぶ)

 

《意訳》

私のこの身が、香炉のように浄(きよ)らかであることを願います。
私のこの心が、あらゆる煩悩を焼き尽くす(仏の)智慧の火のようで
あることを願います。
私は一瞬一瞬の想いの中で仏教徒として守るべき決まりと求めるべき
心の静寂という香を焚き上げ(実践し)あらゆる世界のあらゆる仏に供養を捧げます。

世の中がコロナ禍となり、もう一年になります。先の見えない閉塞感が
続く毎日ですが、このような時だからこそ、一日一日を丁寧に生きなけれ
ばならない思いがします。そのような中で浄土宗のおつとめで始めに『香偈』
を読むことの意味を考えてみました。

浄土宗において何よりも大切なことは「なむあみだぶつ」とお念仏を称えることです。
そのお念仏を称える時、その前に自分自身の心の在り様を見つめるのが、この『香偈』
だと思います。
自分が今どのような思いで阿弥陀様やご先祖様の前に座っているのか?
単なる日課としておつとめをしていないか?しっかり自分を見つめているか?
『香偈』が問いかけている気がします。

お経を読む前にすることはロウソクに火をつけて、お線香を香炉に立てます。
つい香炉の掃除を数日さぼると香炉の灰は思った以上に散乱します。
また手抜きをして香炉の灰を表面だけ均(なら)しただけなら、見た目は綺麗に
なりますが、線香を立てると中の灰が硬くて上手く立ちません。まるで自分の心を
表面だけ取り繕い、中は汚れたままかのようです。
丁寧に香炉を灰の中まで時間をかけて掃除した後は、まさに『香偈』に説かれる
浄らかな香炉、浄らかな身となり、謙虚に阿弥陀様やご先祖様と向き合える思いがします。

このような時だからこそ、今、自分の心が浄き香炉のごとく澄んでいるかを顧みて、日々丁寧に生活をすることで、少しでも心穏やかにお念仏を称えて参りたいと思う今日この頃です。                                                                                                                            同称十念