住職三分法話㉕

住職三分法話㉕

令和4年1月1日

 

           仏様は心の中にいますか?

送仏偈(そうぶつげ)

請仏随縁還本国(しょうぶつずいえんげんぽんごく)

普散香華心送仏(ふさんこうげしんそうぶつ)

願仏慈心遥護念(がんぶつじしんようごねん)

同生相勧尽須来(どうしょうそうかんじんしゅうらい)

《意訳》

仏様お願いいたします。どうぞそれぞれの浄土へお還りください。香を薫じ花を散いて
心から仏様をお送りいたします。願わくは仏様の慈悲の心で、いつも遠くからでも私たちを
お守りください。

この『送仏偈』というお経は浄土宗の日常勤行やお葬式等の儀式の一番最後に読まれるお経です。
おつとめの前半に仏様を道場にお招きし、最後はどうかお浄土から私を見守りくださいと念じて
仏様をお見送りいたします。

このお経を称える時、20年ほど前、仏教の勉強会で先生から言われた言葉を時々思い出します。

「仏様が自分の心の中にいると信じて僧侶をしている人はいますか?」と先生から問われました。
勉強会に参加していた私を含めた20人の僧侶のほとんどの人が「信じています」と手を上げました。
すると先生は

「それは浄土宗、法然上人の教えとは違う解釈です。仏教の信仰を心の中に持つことは大事ですが、
仏様が心の中にいるとか、元々我々は仏様だというような考えは浄土宗の教えではありません。
私達は法然上人が仰せの通り愚鈍の身です。本来救われがたい凡夫です。だから阿弥陀様(仏様)に
全てをまかせて救って頂く必要があります。本来自分が仏様なら、このように悩み苦しむはずは
ないでしょう。」

この言葉は今も私の宗教観や死生観の中心にあります。
阿弥陀様は私の心の中ではなく極楽浄土におられるから有難いと思えます。

今日も謙虚に己をみつめて、死の間際、極楽から阿弥陀様お迎えに来てくださることを信じ、
南無阿弥陀仏のお念仏と共に精進して参りたいと思います。

同称十念