徳川家康と浄土宗⑦ ~三つ葉葵の紋~
住職三分法話㊹
令和5年8月1日
徳川家康と浄土宗⑦ ~三つ葉葵の紋~
浄土宗寺院では宗紋の『月影杏葉』の紋と共に徳川家ゆかりの『三つ葉葵の紋』を掲げている寺院が数多くあります。
正覚寺でも本堂や玄関など多くの箇所に『三つ葉葵の紋』を掲げています。お参りに来られた方からは浄土宗の寺院でなぜ徳川家の『三つ葉葵の紋』があるのか?とよくご質問を受けます。
その理由は今から約500年前に遡(さかのぼ)ります。
徳川家康公の高祖父(四代前の当主)の松平親忠公は松平家が三河の地を統治する戦国大名になる礎を築いた方で、その親忠公の子、存牛上人が永正17年(1520年)浄土宗総本山知恩院の25代目の住職になります。存牛上人は戦国時代、大名や皇室と関係を繫ぎ、戦乱の世で荒廃する浄土宗を支えた名僧です。
江戸時代の書物『起立開山名前・御由緒・寺格等書記』によると存牛上人のご遺訓が次のように記載されています。
我(存牛)は法然上人のご遺跡(知恩院)に後白河法皇の命を受け住職に就任せしむ。松平家に生を受けその後出家し、法皇の勅許勅請を賜ることは名誉なことなり。我が名誉が松平家の名誉なれば、我が跡を後代に残さんがため、当山の紋は後世に至るまで、我が元の姓の『葵紋』とすべし。と知恩院の寺紋を松平家の『葵紋』と定めたことが示されています。
さらに『知恩院史』によると家康公は八歳の時に知恩院に参詣し、存牛上人より仏教や浄土宗、松平家についての勧諭(講義)を受け、後に天下人となった家康公は「天下平治の功、存牛上人の勧諭による。重ねて存牛上人の仰せの通り永世当家の葵御紋を知恩院(浄土宗)の御紋とし、天下安全を祈願するように」と仰せになられたと伝わります。
500年後の今『三つ葉葵の紋』を見ると永世に渡り松平家、徳川家、存牛上人に見守られている想いが深まります。合掌。