徳川家康と浄土宗⑨ ~大蔵経~

住職三分法話㊻

令和5年10月1日

徳川家康と浄土宗⑨ ~大蔵経(だいぞうきょう)

 

徳川家康公が浄土宗を庇護(ひご)し、知恩院や増上寺などの寺院を整備したことがその後の浄土宗の隆盛に大いに影響していることはこれまでも書いてきましたが、家康公の浄土宗に対する多様かつ多大な貢献の一つに増上寺への大蔵経の寄進(寄進=寺に物品やお布施を納めること)があげられます。
大蔵経とは仏教の教えの全てが記されている経典(お経本)のことで一切経とも言います。巻数にして約5000巻にもおよぶ膨大な量のお経です。
普通の人なら一生かけても全てを読むことは難しいこの大蔵経を法然上人は修行時代に5遍読み解き、仏教の基礎を体得したと伝わります。
その仏教の教えの全てが記された貴重な大蔵経を家康公は三部(高麗版、元版、宋版の三種類)も増上寺に寄進しています。
この寄進は天下人となった家康公だからできたことであり、その経緯は賛否があるかもしれませんが次のように伝わります。

(大本山増上寺史より)1609年、家康公68歳の時、大和(現在の奈良県)円成寺所蔵の大蔵経(高麗版)を所望し、円成寺より235石(現在の価値で約2000万円)で貰い受け、直後に増上寺に寄進。翌年に伊豆(現在の静岡県)修善寺所蔵の大蔵経(元版)を寺領40石で召し上げ(寺領40石=毎年約400万円ほど)直後に増上寺に寄進。さらに3年後には近江(現在の滋賀県)管山寺所蔵の大蔵経(宋版)を50石(現在の価値で約400万円)で召し上げ、直後に増上寺に寄進しています。そして家康公はその時に三部の大蔵経を増上寺に寄進しただけではなく、800両(現在の価値で約8000万円)の維持費も添えて寄進しています。このお金で増上寺は寄進された大蔵経の修理をしています。

ではなぜ家康公が大蔵経を増上寺に寄進したかというと、当時日本に現存する大蔵経はすべて外国製(中国や朝鮮)だったので、読書家であり仏教に精通し浄土宗を信仰する家康公は日本製の新たな大蔵経を校訂し出版したいという願いがあったからだと当時の状況から推察できます。(仏教学者金山正好氏の説)

その家康公の願いは江戸時代には実現はできませんでしたが、300年後、この増上寺の大蔵経が基になり、現在も我々僧侶が勉学や信仰の拠り所とする『大正新修大蔵経』が昭和9年に完成することになります。

家康公が当時、日本各地から大蔵経を収集し増上寺に寄進したことで数百年の時を経て昭和初期に家康公の願いが叶ったことはとても感慨深いことであり、浄土宗だけではなく仏教全体の宝となっています。家康公によるこの大蔵経の寄進がなければ、おそらく現在のような大蔵経の研究は成されなかったはずです。今日は大蔵経を収集し増上寺に寄進をされた家康公の功績に感謝しながら読経したいと思います。   合掌

※現在浄土宗では大蔵経のデジタル化を進めており、来年(2024年)浄土宗開宗850年に合わせインターネットで公開を予定しています。