無量山 引接院 正覚寺

  • トップページ
  • お問い合わせ
  • 法要のお申込み

正覚寺日記

2020年4月のアーカイブ

住職三分法話② »

令和2年5月1日 写経会  住職三分法話

 『“必ず死ぬ”ということ』

先日、久しぶりに立川談志さんの落語『らくだ』を聞きました。
『らくだ』は談志さんの得意ネタのひとつで、町一番の嫌われ者で人に暴力をふるったり、家賃を踏み倒したりしていた男と町の人たちのお話です。その男は「らくだ」と呼ばれていました。

「らくだ」はある日フグにあたって突然死んでしまいます。町の人たちは嫌われ者の「らくだ」の死を喜びますが、その後「らくだ」の仲間に脅されて、嫌々ながらもその葬式をすることになります。葬式といっても落語のことですから人の死の悲しみや無常感もなく、町の人たちが悪行ばかりしていた「らくだ」に仕返ししてやろうとばかりに葬式をハチャメチャにしてしまうというようなお話です。

法話とはほど遠いお話ですが、その中のひと事に仏教に通じるものを感じました。
「らくだ」の訃報を聞いた、くず屋(廃品回収屋)さんのひと言です。
「人間、心配しなくても、どんな人間でも死ぬんだなあ。」

このひと言は、普段私たちの言うこととは逆です。
困難にあたった時に
「心配しなくても、死ぬわけじゃないから」
と言うことはよくありますが、
「心配しなくても死ぬんだなあ」と。
しかし事実、人は心配してもしなくても、どのように生きても必ず死にます。
浄土宗の教えは、「お念仏を称えて極楽浄土に往生すること」です。
極楽とは死後の世界であり、死後に極楽浄土に行けるのが浄土宗の教えです。しかし必ずしも死後に救われることだけを説いているわけではありません。もし浄土宗が死後の救いのみを説く教えであるならば、極端な話ですが、「念仏を称えれば必ず極楽に行けるなら、この世は何をしたっていいじゃないか」ということになってしまいます。
法然上人がお示しくださったお念仏の教えは、そのような教えではありません。浄土宗の教えは死の間際に阿弥陀様に極楽へ救っていただく教えであり、さらには極楽を信じて生きる教えです。極楽浄土という世界があり、仏様や亡き方々が見守ってくれていると信じればこそ、この世で困難に遭い挫折したとしても、また立ち上がり精進する力になります。
「必ず死ぬ」という現実を、私たちはお念仏を称えることで「阿弥陀様に必ず救われる」「亡き大切な方々と必ず再会できる」と受け止めることで、その死の瞬間も恐れずに迎えることができます。
さらに、その人が精一杯極楽にいけるような生き方をしたならば、極楽で待つ方も「よくがんばったな」と迎え入れてくださり、この世で残された方々も「ああ、あの人は間違いなく極楽に往かれたのだ」と、安心して見送ることもできるはずです。「らくだ」のように好き勝手に乱暴に生きていては、極楽浄土で待つ大切な方々に合わせる顔がありません。「必ず死ぬ」ならば、この世はお念仏を称え、極楽を信じて謙虚に精進していくしかないと改めて思いました。

同称十念

DSC_3002三内・正覚寺霊園より撮影

住職三分法話① »

新型コロナウィルス感染拡大防止の為、正覚寺の行事はすべて中止しております。
毎月の行事で当たり前のように顔を合わせ、共にお念仏や写経をしていた皆様とも久しくお会いできていない状況が続いております。皆様お元気でお過ごしでしょうか。
またお寺に集まり、皆様と共にお念仏や写経ができるようになるまでの間、写経会(1日)、観音講(18日)、御講(25日)の日には『住職三分法話』と題して毎月、住職法話をお届けしたいと思います。

この法話は本ホームページに掲載する他、印刷したものを寺務所前のチラシ棚に置きますので、一読していただければ幸いです。

 

令和2年4月25日 御講  住職三分法話①

『このような時だからこそ』

 

池の水 人の心に 似(に)たりけり 濁(にご)り澄(す)むこと 定(さだ)めなければ

《意訳》池の水は、人の心に似ているものだ。濁ったり澄んだりして定まることがない。

法然上人の詠(よ)まれたお歌です。

人々から勢至菩薩の生まれ変わりと讃えられた法然上人ですら、ご自身の心の中をこのように見つめておられました。

当然、私たち凡夫は周りの状況や自分の立場で心が揺れ乱れることはあります。振り返ると常に心は定まることなく乱れていることに気づかされます。人間とはどんなに自分を律しようと努力しても状況によっては時に心が乱れるものだと法然上人はご自身の懴悔とともにこの歌を詠まれました。

3月末、ある県のドラッグストアでマスクが品薄の為、従業員が顧客からの理不尽なクレームを受けて困り果てているという新聞の記事を目にしました。

毎朝、開店前には20~30人の客の列ができる。店が開くと客は売り場に走り寄って奪い合う。わずかなマスクはすぐに無くなり、従業員はひどい言葉を浴びせられる。
「なぜ、わしに売るマスクがないのか。見殺しにする気か」と怒鳴りつける人や、品切れのポスターに納得がいかず「なんでや!」と怒りをぶつける人もいる。「店員はマスクをしているのに売り場にはないのか」と言われることもあるという。
なんとも悲しい記事でした。

では、自分はどうでしょうか?今、世の中は新型コロナウィルス蔓延で以前では考えられないような事に神経質になり、人の行動が気になり、先の見えない不安と閉塞感が漂っています。皆さんはこの新聞の記事のように実際に口に出さずとも、同じように心の中で文句を言って、人を傷つけ、見えるもの見えないものを奪いあっていないでしょうか。

現在、青森市では都市部のように毎日数百人の感染者が出るような切迫した状況ではなく、ある程度の日常が保たれています。それが、もしも自分の家族や大切な人の命に係わる危機が迫ったならば、実際に口に出し他人を傷つけ奪い合ってしまうのが人間であり、人の心。まさに『池の水』です。

法然上人は状況によって人の心が乱れることは抑えようのないものだと見据えながらも、お念仏を称え懴悔することで心が澄んでいくものと仰せです。
このような時だからこそ、法然上人の仰せの通り、心穏やかにお念仏を称えたいものです。
ゆっくりとお念仏を称え自分を顧みることで、自身の心の乱れを抑え、やがて他人に対しても優しい気持ちになれる気がいたします。

同称十念

DSC_2949

正覚寺の春 »

3月1日の写経会を最後に行事を中止にしてから1か月以上経ちました。

皆さんいかがお過ごしでしょうか。

お檀家さんのお顔が次々と目に浮かびます。

皆さんお元気でしょうか。いつも思います。

月行事がないお寺は活気がなく、いつもお会いしていた皆さんの

お顔が見えないのは本当に寂しいものです。

 

毎年、春の正覚寺新聞は5月のゴールデンウイーク明けに発送をしていますが

今回は早めに今月中の発送を予定しており、ただいま封入中です。

今しばらくお待ちください。

 

正覚寺の境内も春が来て、華やかになってきました。

DSC_2855

 

 

 

 

≪正覚寺会館 光明の間から見える梅の木≫

 

DSC_2893

 

 

 

 

≪正覚寺新年会でお出ししている梅酒の梅の木です≫

DSC_2857

 

 

 

 

 

 

 

 

 

DSC_2895

 

 

 

 

 

 

 

 

 

≪庫裡裏の椿 5メートル以上あるでしょうか≫

DSC_2904

 

 

 

 

≪境内の桜≫

DSC_2902

 

 

 

 

≪ここ数年、枝をだいぶ切られてこじんまりしてきました≫

DSC_2848DSC_2847

 

 

 

 

 

 

≪地蔵様も感染予防≫

DSC_2882DSC_2879

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冬期間、閉めている地蔵堂は春になるとお檀家さんが清掃してくださいます。

今年は職員で清掃をいたしました。

行事はしばらく中止ですが、僧侶のみで行っております。

地蔵堂もきちんと風通ししますのでご安心ください。

DSC_2864

 

 

 

 

≪お寺のごろうともんちゃんも元気です≫

 

 

正覚寺

〒030-0802 青森市本町1丁目1-12

TEL:017-776-3454 FAX:017-776-3329

アクセスマップ