今年初の夜写経会を開催しました。

昨年の12月以来久しぶりにお会いできた方、初めての方、ご参加いただきまして
本当にありがとうございました。
ゆっくりお話もできて、いいお話もおうかがいできて楽しい夜写経会でした。
マスクの着用や手指のアルコール消毒などご協力ありがとうございます。
使用するお道具は全て、消毒をして他の方が触れないよう各座席にご用意しています。
まだまだ不安な日常ですが、気を緩めず予防していきましょう。
来月も開催予定です。

ごろうちゃん(左)ともんちゃん(右)のお出迎えとお見送りもありました。
( 2020年7月15日 )
行事再開のスタートは1日の朝まいり会、写経会です。
3月1日の朝まいり会、写経会以来の月行事です。

朝まいり会の会場です。
ソーシャルディスタンスを守り、本堂を広々と使わせていただきました。
いつもの顔ぶれに、初めての方もご参加いただきました。
以前は、朝まいり会の後は青森市内外の美味しい珈琲屋さんや、喫茶店の
コーヒーとクッキーなどでちょっとしたミニ茶話会を開いていたのですが、
こちらは残念なことにお休みです。

写経会の会場はこれまでの正覚寺会館 「光明の間」の3倍ほどの広さ
でしょうか、110畳の円光の間にて行いました。
以前は1つのテーブルに2人掛けでしたが、こちらも広々1人掛けにしました。
全ての窓、扉も開けて換気も十分に。

お道具もはじめから各席にご用意しており、使用前後は全てアルコール消毒
をしました。
ご参加の皆様も手指のアルコール消毒、マスクの着用とご協力ありがとうございます。
写経会の後も、皆さまに大変ご好評を頂いておりました、月替わりのお茶とお菓子
で住職を交えての茶話会を開いておりましたがこちらもお休みです。
この茶話会が大変にぎやかで、こちらを楽しみに来られている方もいらっしゃるので
大変残念です
しかしながら、このような中でもご参加をいただけましたこと、心より感謝申し上げます。

また全国的に感染者が増加してきましたので、なかなか積極的に
ご参加くださいとは言えない状況ですが、3か月ぶりに皆様とお念仏を唱え
法話をさせていただき、感謝のひと言です。
今後も、皆さまのご体調、状況に合わせてご参加いただければと思います。
( 2020年7月3日 )
令和2年7月1日 住職三分法話⑦
『友の存在』
「友は喜びを倍にして、悲しみを半分にしてくれる」という言葉を高校の先生が言っていたのを時々思い出します。誰の言葉かと調べてみると18世紀のドイツの詩人のシラーという人の言葉でした。
法然上人は晩年「遊蓮房(ゆうれんぼう)に出会えたことはこの生涯で最も嬉しいことです」と語られたと伝えられています。
法然上人が生涯の友と語る遊蓮房とはどのような方なのでしょうか?
遊蓮房?浄土宗においてもあまり有名ではない一人の僧侶を法然上人が「唯一の友」と語るのには理由があります。
法然上人と遊蓮房の出会いは法然上人が43歳、遊蓮房が37歳の時です。法然上人は比叡山に籠(こも)り約30年間仏道修行をされますが、43歳の時に念仏を称えることで阿弥陀仏が極楽浄土へ救われる浄土宗の教えを確信します。
そしてすでにその事を信じ念仏を称える生活をされている遊蓮房という僧侶が京都の広谷という地にいるということを聞き、比叡山を下り遊蓮房に会いに行かれます。そこで二人は出会い意気投合し約二年間、念仏中心の生活を共にします。その生活の中でさらにお二人は念仏の信仰を深めていきます。
しかし遊蓮房は39歳の若さで病に倒れてしまいます。そしてそのまま今生の別れとなるのですが、遊蓮房の臨終に立ち会っていた法然上人は、遊蓮房が病の床で最後の力を振り絞り「なむあみだぶつ」と9遍の念仏を称えたところで止まってしまったの見て、その瞬間「もう1遍!」と励まされ、遊蓮房は最後の最後にもう1遍「なむあみだぶつ」と発して旅立たれました。その往生の際に立ち会い法然上人は遊蓮房が間違いなく極楽浄土へ往生したと確信されたそうです。
遊蓮房のその往生の姿を見届けた法然上人はその後、京都東山吉水(現在の知恩院の辺り)へ居を移されて浄土宗の布教活動を一層精力的に広く行われるようになりました。
法然上人はすべての人が救われる道は「なむあみだぶつ」の浄土宗の教えで間違いないと遊蓮房と過ごした日々で体感し、その後の信仰生活に大きな影響を受けたことが覗(うかが)えます。
遊蓮房との出会いが法然上人のご生涯での喜びと支えになったように、自身も人生において大切な友の存在を改めて大事にしていきたいと思う今日この頃です。
同称十念

( 2020年7月1日 )