無量山 引接院 正覚寺

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正覚寺日記

2020年8月のアーカイブ

住職三分法話⑨ »

『死の時を想う』

 

自分が死を迎える時、どのような場面なのか?どのような感覚か?どのように往きたいか?
そのようなことを想像したことがあると思います。
私は正直に言うと死ぬのは怖いです。しかしその時が来た時には阿弥陀仏が迎えに来てくれ
て一緒にお迎えに来てくれた観音菩薩の持つ蓮の花に包まれて極楽浄土へ往かせていただけ
るという、楽しみに似た想像もしています。
「なむあみだぶつ」と念仏を称えて生活をしているのはその時に向かって進んでいるという
感覚もあります。
そんな私がお手本にしたい法然上人のお弟子さんをご紹介させていただきます。

甘糟忠綱(あまかすただつな)という鎌倉時代に活躍した武士です。
甘糟忠綱は武蔵国(現在の埼玉県)の武士で 建仁三年(1203年)比叡山延暦寺の暴徒化し
た僧兵の鎮圧のため出兵することになります。その合戦の直前に京都の法然上人を訪ねます。
忠綱は自分は今までも多くの人を殺めてきた罪人だから後生は地獄行きとなることは間違い
ない。しかしその恐怖が消えず、なんとか極楽へ救われたいと願い必死の思いで法然上人の
元を訪ね、次のように訴えます。
「私は、武士の家に生まれ戦(いくさ)を生業(なりわい)としてきました。しかし後生の地
獄行きが恐ろしくてたまりません。その思いから今、武士を辞め出家したならば、末代まで
臆病者と呼ばれるでしょう。何とか、武士である己と家の名誉も捨てる事無く、極楽へ救わ
れる道はないのでしょうか!」

その質問に法然上人が静かに答えます。
「阿弥陀様の救いというは、その人の善行や悪行のみを見て救う人を選ぶ事は無いですよ。
時も場所も縁も関係なく、罪人なら罪人のまま、武士ならば武士のまま阿弥陀様どうか救っ
てくださいと一心に「なむあみだぶつ」と称えたならば極楽へ往生は叶えられます。武家に
生まれた宿命ならば、そのままの姿で、たとえ命を失う事になっても、念仏を称え阿弥陀様
の救いを一心に信じ念仏を称えるならば、必ず極楽へ往生することでしょう」
忠綱は自分のような者は絶対に地獄行きだと思っていましたので、法然上人のその言葉に心
底救われ涙しました。その時、法然上人は念仏の信者の証として一枚の袈裟を忠綱に渡しま
す。忠綱は鎧の下に、その袈裟を着け、後生の心配は無く、晴れ晴れとした気持ちで合戦に
挑みました。比叡山での合戦は壮絶を極め、忠綱は重傷を負い「もはや、これまで!」と覚
悟を決め、立ち止まり刀を捨て合掌し、声高々に「なむあみだぶつ!」と念仏を称え、その
身を敵に任せて往生を遂げました。その姿は武士としても念仏の信者としても見事な最期で
した。

自分の生まれや過去や現在の状況を受け入れ、その身のままで一心に阿弥陀様の救いを信じ、
忠綱のように極楽への往生を確信し心穏やかに最期の時を迎えたいものです。
日々穏やかに済まないことは多いこの世の中、今日も心が乱れながらもその身のままで
「なむあみだぶつ」。
同称十念

手洗い場を新設しました »

つい先日、寺務所玄関に手洗い場を新設しました。

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参道脇や社殿脇に手水舎や御手洗場が置かれている神社や寺院が多いと思います。

参拝の前に手や口を洗い清めるものです。

正覚寺では、このたびの新型コロナウイルスの感染拡大により

お寺に入る前、お帰りの際に手洗いをして安心してお寺参りを

して頂きたいとの思いから新設しました。

また、アルコール消毒が苦手な方もいらっしゃいます。

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玄関に水場ができたことで清浄な空気が流れているような気がします。

今年は、お盆の法要は僧侶のみとなりましたが、位牌堂、本堂は

例年通りお参りいただけます。

ご来寺の際はお十念手洗い(お十念を3回唱えると、推奨されている30秒手洗いができます!)

をお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

支え合い、助け合う社会に »

明の星高校の生徒さんがSDGs(エス・ディー・ジーズ)の活動の一環で

ボランティアを行うという事で協力依頼のご連絡を生徒さんより頂きました。

『おてらおやつくらぶ』のの活動を知り、そのような活動をされたい
https://otera-oyatsu.club/

との事で正覚寺ではお供物のお菓子と果物をおわけしました。

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(お持ちいただくお供物を前に住職とお十念を)

正覚寺では不定期ではありますが、以前よりひとり親家庭を支援する

団体様へお供物のおさがりをおすそわけしております。

現在は他宗派ご寺院様も多数、このようなおすそわけに取り組まれています。

明の星高校の生徒さんもこちらの活動は継続されるとのことですので

またお手伝いできればと思います。

特に今、このような時だからこそ自利利他の精神でともに助け合い、

支え合う社会であってほしいと思います。

https://www.toonippo.co.jp/articles/-/385370

住職三分法話⑧ »

令和2年8月1日  住職三分法話⑧

『離れていても心は同じ』

 

  露の身はここかしこにて消えぬとも

  心は同じ花の台(うてな)ぞ

意訳  人の命は露の雫のようにいつ消えるか分からない儚いものですが、

念仏を称える者同士は必ず次の世、極楽浄土の蓮台で再会が叶います。

たとえ、この世で離れたとしても、いつでも心は繋がっていますよ。

 

法然上人があるお弟子さんとの今生の別れの時に読まれたお歌です。

 

先日、弘南地域のお寺のご住職から伺った、檀家さんのお話です。

昨年の夏に旦那様を亡くされた奥様から一周忌のご法事のご予約のご連絡の電話がありました。

その方は岩手県に住んでおられ、今は新型コロナウィルスの影響で県をまたいでの移動を自粛し
なければならず、法事に行く事はできないのですが、ご住職にお寺で一周忌のお勤めをお願いで
きないか?ということでした。ご住職はこの状況下でこのような形でも旦那様の一周忌を勤めた
いという奥様の思いを感じ、快くそのご法事を引き受けられました。

そして数日後、一周忌の前日にその奥様から改めて電話があり

「ご住職、明日は主人の一周忌の法事は何時頃に勤めていただけますか?」と

「10時頃から勤める予定でしたが、どうしました?」とご住職が聞き返すと

奥様は「そうですか、じゃあ私も10時に仏壇の前に座って一緒にお念仏を称えます」と答えられ
たそうです。

ご住職はその言葉、想いに感動し

「それは尊いことです。場所は違ってもそのお気持ちは必ず極楽の旦那様にも届いていますよ。
私も明日は10時から本堂でしっかりと勤めさせて頂きます」と言って電話を切られたそうです。

このお話を聞いて、同じ場所に集まることが難しくとも、心を寄せるとはどういうことか、供養
させて頂くこととはどういうことかを改めて感じさせていただきました。今、新型コロナウィルス
の影響でこれまで当たり前だったことが出来ない世の中になっています。今まで考えなかったこと
を考えることも増えました。場所は違っていても心の距離は関係ありません。

この世とあの世と離れていても「心は同じ花の台(うてな)」と法然上人もお示しの通り、私たち
は今の状況に惑わされることなく、心穏やかにお念仏を称え、供養の字の通り、己の心を養うこと
に精進してまいりたいものです。

同称十念

正覚寺

〒030-0802 青森市本町1丁目1-12

TEL:017-776-3454 FAX:017-776-3329

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