小さな蓮池

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小さな蓮池の花が次々と咲いています。

年々、暑さは増していますが、変わらぬ景色を今年も見られることを大変にありがたく、貴い事だと心から思います。

 

ここで、浄土宗を代表する御詠歌(ごえいか)のひとつをご紹介したいと思います。

「露の身は ここかしこにて 消えぬとも こころは同じ 花のうてなぞ」

訳:私たちの命は露のようにはかなく、いつ尽きるとも限りませんが、念仏を称える者は必ず極楽浄土に往生し、蓮華のうてな(蓮台)で再び会うことができるのです。

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この御詠歌は法然上人が四国(讃岐地方)へ流罪になられるときに、法然上人を慕う元関白の九条兼実(くじょうかねざね)公が別れを惜しみ詠まれた歌への返歌です。

1207年、法然上人は75歳の時に弟子が犯した罪の責任を負う為、四国の土佐へご流罪となりましたが、法然上人を慕う九条兼実公は法然上人との今生の別れを悲しみ、法然上人に手紙を送りました。

「ふりすてて ゆくは別れの 橋なれど 文わたすべき 事をしぞとおもふ」

訳:私を見捨てて長い旅路につき、今生の別れの橋を渡って行かれる法然上人に、便りだけは渡したいと思います。本当に無念で悔しいです」

この兼実公の歌に対する法然上人の御返事が冒頭の「露の身は…」のお歌(御詠歌)です。
法然上人との別れに悲しみに暮れる兼実公に対し、念仏信仰を持つ者は極楽浄土での再会が約束されていることを諭し励まされました。

一時は関白という政治の最高権力の座にあった九条兼実公ですが、この時期は前年に息子を亡くし、自身は9年前に政争に敗れたのちに関白の地位を追われました。法然上人の流罪を止める権力も無く、体も自由が利かないほど弱り、落ちぶれた貴族として京の都の外れでひっそりと暮らしていましたが、兼実公は法然上人を兄のように慕い、浄土宗の教えを心の拠り所としていましたのでこの別れは人生において痛恨の極みでした。
しかし法然上人から「露の身は…」の返信の歌を受け取り、涙を流し喜ばれ、法然上人との極楽浄土での再会を確信しひたすら念仏を称えられました。
そしてこの別れのひと月後、兼実公は59歳で極楽浄土へとご往生されました。
家族や親しい人との別れは、言葉に尽くせないほどの悲しみですが、お念仏信仰を持つ者は必ず極楽浄土で再び会えることを法然上人は何度も説かれています。

 

≪御詠歌とは≫
仏教には、寺院や霊場の巡礼の際に唱える「御詠歌」と呼ばれる和歌があります。御詠歌とは、仏の徳や教えを讃える意味があり、仏教の教えを五・七・五・七・七の和歌にし、節をつけたものです。一般の仏教の信者などが寺院や霊場の巡礼の際に唱えたり、地域によっては葬儀や法要などの際に唱えたりする風習もあります。聞くことでも功徳を得られるとするお経とは異なり、自分で唱えることで功徳が得られるとされています。
浄土宗では「御詠歌」を「詠唱(えいしょう)」と呼び他宗と区別し、念仏の助業(念仏を称える身となる助けの行い)と定めています。

 

県内寺院でも宗派問わず、ご詠歌をやられているご寺院があります。
正覚寺では25日の御講にご参加の皆さんと「法然上人二十五霊場」のご詠歌を読誦しているだけですので、正覚寺檀家の皆さんにはあまりなじみがないと思います。これから正覚寺新聞や寺内に掲示するなどして教化の一助となるべく広くお伝えしていきたいと思います。